「現象さまに怒られる」っていうのは本当によくあるんですけど、これもやっぱり信号みたいなもんで、無視しちゃうひともいるわけですね。やっぱり「やめたほうがいいよ」というときってちゃんとストップがかかるんですよね。ホイッスルが鳴るんです。「はい、ストップでーす」と肩を叩かれるんです。
名古屋もどりに熱海に泊まろうかなと思っていたけど、1日ズラしてやめておいて正解だったっぽい。なんか新幹線もホテルも予約がうまくいかなかったんだよな。「うまくいかないこと」に従ったほうがよかったりすることもあるんだよね。
— にしけい (@nishikei_) July 4, 2021
海外旅行のときもそうだけど、大きめの事件や事故が起きる時間と空間を紙一重でギリギリ避けられているんだよな…。でもそのときは「うまくいかなくてスムーズにいかないなぁ」とか思ってしまうんだけど、実は一番スムーズな選択を取れているのかもしれない。巨視的に見たら運だけはいいんだろうな。
— にしけい (@nishikei_) July 4, 2021
で、これは占いだとかそういうものを勉強していようがしていまいが、関係ないんですね。
「現象さま」に注意されて「やめとくか」とか「方法を変えてみるか」と考えを改められるかどうかなので、知識とか経験とか関係ないんですね。ただ「無理しない」ってことなんです。
おもしろいのが、この「現象さま」の注意を無視し続けると、より強烈な現象が起きてくるんですね。最初はホイッスルだったのが、無視し続けるとオーケストラを引き連れてやってくるんですね。
交通事故とか体調を崩すとか、そういう形で起きてきて、強制終了させようとしてくるんです。
その行動や言動が「正解だったか」という判断は、どこまでいってもわかりません。死ぬ直前まで「あのときのあれは失敗だった」と思うかもしれないし、死んだあとも「あれは失敗だった」と何かの形で残るかもしれません。でも死から数百年後に「あれは正解だった」と思うかもしれない。本当にどこまでいっても「正解」を追い求めると不毛なエネルギーを使うし、場合によっては誰かを恨んだり、憎んだりして。それでさらに消耗したりするかもしれない。
どうしても現象さまの警告を無視するときって、自分の中に「絶対こっちのほうが正しい」という軸があるんですけど、そういうのって大体「頭で考えているとき」だったり、ペルソナを守ろうとエゴが全開になっているときなんですね。
だから「正しさ」を求めると、なかなか現象さまの警告に気づきにくくなっちゃうんですね。
気学をやっていても思うんですけど、地図上の北とか暦上のシンボルにこだわると、気づいたら全然そのものを捉えられていない…ということになっちゃうんですね。バーチャルというか「情報」が「本体」になっちゃってて。目の前に本人がいるのに、その人のSNSのプロフィール文読んでるみたいな。ライブとかでも本人が目の前で演奏しているのに、スクリーンの映像を見ちゃうみたいな。「実体」とか「実物」が蔑ろにされがちなんですね。
「8時間寝たから今日は眠くないはずだ」と頭で考えていても、眠いときは眠いし、ソファで本なんか読んでると寝てしまったりすることってあるじゃないですか。人間が、誰かが作った、記号って情報が削ぎ落とされていて便利は便利なんですけど、全然「実態」とはかけ離れていくこともあるんですね。眠いときは眠いし、甘いものを食べたいときは食べたい。相手が書類上結婚していても好きだという気持ちは事実だし、法的に婚姻関係にあるパートナーを生理的に拒絶してしまう場合もあるでしょう。
戸籍とか国境とか物差しとか、人間があとで作った「分けるための道具」って、すごく儚いというか、全然歯が立たないこともあったり。そういった分けるための道具にとらわれると、便利といえば便利なんですが「現実の現象」をありのまま捉えることができなくなるんですね。ヘンテコりんなメガネをかけさせられるというか。小手先のことでごまかした分だけ、現象が見えなくなるんですね。
だから、うまくいかないときやスムーズにいかないときほど、本当は冷静に穏やかに対処しなきゃいけないんですけど、なかなか心に余裕がないとできなくなってしまったり。効率化を求めてしまったり。でもそれが、逆の作用をもたらすこともあるかもってことを心のどこかに置いておくと、ちょっとだけ他人にも自分にも優しくできるんじゃないかなと思います。
にしけい