アイアンマンを観たら自分の至らぬ点が見えてきたので書きました。

なんとなくアマゾンプライムでアイアンマンを観たんですね。2008年公開の。マーベルは本当に全然観ないのでどんなものなのかと思ってなんとなく観始めたんですが、いや〜胸を打たれました。じゃあアイアンマンにハマるか?他のマーベル作品も観るか?と言われれば、たぶん観ないと思います。1個で十分でした。

キャラクター名とか役者名とか全然覚えられないので「アイアンマンの人」と書いていきますけど、やっぱりこう「手持ちのカードが少ない中でいかに切り抜けるか」というのは、やっぱり胸が熱くなるというか、自営業とか起業の醍醐味なのではないかと思うのです。敵キャラはすごく潤沢な装備かつカードをもっているなかで、アイアンマンの人を陥れようとするのですが、やっぱり「持っている状態」というのは油断するというか、それ以上進歩しないんですね。頼っちゃうというか。そりゃ何事も潤沢で選択肢が多い方がいいですよ。普通は。だけど、自分のこれまでの生き方も含めると、だいたいが味方も有効なカードもほとんど少ない中で何かしら生き延びてきていることが多かったな…と思いまして。それなのにちょっと占い師や講座が有名になってきたからと、油断していたんです。本当に恥ずかしい話です。

何も無い状態からあれやこれや、ああでもないこうでもないと言いながらも、やっと手に入れた「今」に甘えていたんですね。ようやく手に入れた「カード」だったから嬉しかったのかもしれません。自分で何かを成し遂げたという実感が得られていたのかもしれません。しかし、もともと僕は「もっていない状態」だからこそ、生を実感できるというか、ああでもないこうでもないとなんとかやっていく。多分そんな自分が好きだったのに、いつのまにか「持っている自分」を守ろうとしていた、全然アイアンマンじゃなかった。I’m not a Iron manだった。どちらかというと敵役の武器の密売とかしていたオッサンのようになりかけていたんだな、と。

潤沢にカードがない状態だからこそ、必死に試行錯誤する。潤沢で恵まれた状態が悪いとは言わないけれど、アイアンマンが少ない材料からアイアンマンの装置を作り出し、なんとか危機を脱出するシーンを見て、あ、これだ!と。今の自分に足りていなかったのはこれだ!と。僕は自分が好きです。でも、アイアンマンを見て僕は自分があぐらをかいていたことに気づきました。そんな自分は好きになれません。もっと「にしけい」になるには、もっと試行錯誤していく必要があります。今まで、やっぱり右下にいたのですが、左下に移動しなければなりません。そういうことなんです。

やっぱり少年たちや人々が胸を打たれるのは左下からの左中央の流れなんです。沢水困三爻変から四爻変とか水雷屯四爻変とかです。この流れに「生」を感じ「希望」を感じるのです。僕は自分が誰かの物語の脇役になるのは嫌です。ずっと主人公でいたいのです。そのためには改めて自分が「はじめからもっていたカード」を見直す必要があるなと思いました。というわけで、アイアンマンの感想とともに決意表明のような形になってしまいましたが…自分の人生なので、自分で考えて、いろんな失敗もやっぱり自分で受け止めていこうと改めて思いました。

I’m a Nishikei.

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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