(今日のブログはコーヒーを飲み過ぎて頭がおかしくなってしまったにしけいが書いていますので、軽くスルーしてください)
特定の問題を根本的に解決する知見や技術は存在しているにもかかわらず、存在していないことになることが多いです。
「革新的」ならいいのですが「核心的」だとだめなんですよね。
本当に良すぎるものを作ると理解されないだけならまだしも消されるんだよな。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) October 3, 2020
これはいろんな業界で見られる現象なのですが、先入観を捨てて素直に「これはいい」「これはだめ」を繰り返していった結果「根本的に解決できるテクノロジー」を見つけてしまう人がいます。
と言いながらも、特定の目的に対して「素直に」YES/NOテストを繰り返していけば、誰でも到達することができるはずなのですが、それをやらないだけなのです。
そして「根本的に問題を解決してしまうもの」があれば本当はもっと世の中ハッピーになるはずなのですが、やっぱり一部でそれを良しとしない方向性もありまして。そういった人たちにとって「根本的に解決できるもの」というものは都合が悪いのです。
なので、ほどほどに「問題を解決してるっぽいもの」を出し続けたほうが、大衆性を得やすいのです。逆にいうと大衆性が強まれば強まるほど「根本的に問題を解決できるもの」ではないということなのです。
隠されようとするもの、目立たないもの、忌避されるもの、批判されるもの、メジャーではないもの、「やめておいたほうがいい」と言われるもの…そういったものの中に「根本的に問題を解決するためのヒント」があります。
そういう観点で見てみると、また違ったものが見えてくると思います。
にしけい