いつものことながらなのですが、本当にやればやるほどよくわからなくなります。

ひとつわかったと思ったら、また4つぐらいわからないことが出てきて。

「そもそも」を掘り下げていくと「根底条件」が覆るようなアイディアが浮かび、今までやってきたこと、考えてきたことって何だったの?みたいなコペルニクス的転換についていけない旧態依然主義者な自分がまだへばりついているなと思ったりもします。

例えば気学とかでも「吉方位」とか「どんなことが起こる」とか少しわかるようになったうちは楽しかったのです。

楽しかったといえば今も楽しいので、この場合の「楽しい」をあえて識別するために別の表現をするとしたら「短絡からくる楽観的な楽しさ」と言えば良いのでしょうか。

3+5=8になる。おお、本当だ、8になる。すげー!ってここでやめておけばいいのですが、人間の欲というものは恐ろしいもので「本当に何度やっても8になるのか」「この式は完璧なものか」を確かめてみたくなってしまうのです。

そして「完璧」を証明しようとすればするほど、完璧から遠ざかる。不完全だと気がつく。

ここでその不完全だと気づかされるデータから目を背けることができれば、とっても楽なのだけれど。

ヘラヘラテキトーな言い訳をつけて「異常値」として除外できれば、自分の中の「完璧」や「自我」を守れるのだろうけれど。

やっぱり完全を追い求めれば求めるほど不完全さを突きつけられる。

ふだん「完全」を装っている人ほど、この突きつけられた不完全さには堪えられなかったりする。プライドが高いほど混乱が起こる。

ここでその不完全さの矛先が「自分」に向くと、おそらく人は病んでしまう。研究者は狂ってしまう。

占い師としては達成感が得られないせいか「うまくいっていない不幸な人」というような扱いを受けるかもしれない。

やればやるほどわからなくなる。それなのに好奇心だけは精子のように無尽蔵に作られる。

 

この「なんで?」がイキすぎると、すべてが疑いになる。根底条件が崩れ去って、自分の存在が消えていくような感覚に襲われることもある。

途中でやめれば楽で幸せなのに。テキトーに何か食べてお腹を満たしておけばいいのに。

いろいろもがき悩んでたどり着いた「それっぽい答え」がバージョンアップするたびに生まれる一粒のブルーベリーの味が美味しくて美味しくて。

お腹は満たされないのに、どうしてもそれが欲しくなる。ちょっとだから美味しいのかもしれない。お腹が空いているから美味しいのかもしれない。苦しいから美味しいのかもしれない。

どちらにせよ、わずかな発見・進歩の味がたまらなく美味しい。

今まで占いでなんとか食ってこれたし、会社も作ったり、お金を生み出すアイディアを実験したり、お金を稼ぐのは得意な方なのかもしれないけれど

最近、僕はやっぱりビジネスマンではなく研究者寄りな人間なのではないかと思う。

あとは「やりたくないこと」をするとわかりやすく体調を崩すので、研究者と言えるほど強靭な精神も持ち合わせていなくて、どちらかと言えば芸術家に近いのかもしれない。

自分の中に主人格があるとしたら

「超商売人モード」のときと

「頑固老人研究者モード」のときと

「もっと芸術を感じたいモード」のときがあって。

こういうブログを書くときはだいたい「芸術を感じたいモード」のときで、何かを「生み出そうとしている」「見出そうとしている」ときだったりします。

先月はモンゴル行ったり、本を出したり、思いっきり「超商売人モード」だったので、その反動から廃人みたいに本や漫画を読み漁ったりしています。

 

で、今の研究テーマはタイトルにもあるように「骨」なんですね。

どうも「骨」というものが何なのかもう一度、考え直さなくてはならないと考えています。

 

こういうのを書くとTwitterあたりで骨の科学的組成や機能を説明してマウントしてくる人がたまにいるんですが、そんなのはどうでもよくて。

 

「骨とは何なのか?」なのです。

 

ここから何か生まれそうです…bornしそうです…骨なだけに…って終わらせようと思ったのですが

骨はboneなので綴りが違うし、うまく話の骨を折れない自分の無能さが骨身に沁みます…。

にしけい

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