全体的に重めの桃太郎、「重太郎」ってどうだろう?

暗くて息苦しい空間に、私はいた。何も見えず永遠に暗闇が続くような時間。水が流れるような音が聞こえる。私は惕れる余り、途中で泣き叫ぶこともやめた。「産声」と呼ばれる声をあげるには、虚しすぎたからだ。私はなぜ生まれてきたのだろうか。何のために生み出されたのだろうか。この閉ざされた暗闇の中を見つめ続けて、どれぐらい時間が経ったのだろうか。私は何者なのだろうか。

バタン。何かが開く音がした。ようやく光が見えてくるかもしれない。老人は郵便ポストの中の郵送物を手に取り、肩を落とした。『重要書類在中』と書かれた薄緑色の封筒だった。毎年この時期になると届く恒例の手紙だった。数年前に退職金をつぎ込んで買った「終の住処」用の山林。しかし、その時は誰も教えてくれることはなかった。山には管理義務があると。景観維持協定と十五年前から施行された「山林保護税」によって、老後も所得税と同等以上の課税額になった。草は伸び、木は倒れ、放っておくと「近隣景観に悪影響」として苦情が飛び、年に一度、役場の職員が山林を視察にくる。

「また伸びてますよ。雑草が規定よりも四寸以上超過している場合、超過分課税されるんですよ。景観維持協定にもそう書いてありますよね」

何度手放そうと考えたかわからない。山林の売買仲介会社に登録してから早3年経つ。「これだけの広さならすぐに見つかりますよ。買い手が見つかり次第すぐに報せますね」と言われて毎日、郵便ポストを開けるもそれらしいものが見つかった試しがない。老人は今日も芝刈りに行く。背中に背負ったエンジン式の刈払機は、年々重くなる。重く感じるのではない。実際に重くなっているのだ。気づけば金属部品にコケが生え、油は抜け、騒音だけは年々増す。

「また刈ってるよ」「今日もじいさんが来た」「うるさいなぁ、その音なんとかならないんですか」「草を刈ったニオイが洗濯にも染み付くのでやめてもらえませんか」

刈れば苦言を呈され、芝を刈らなければ課税され、お金は減る一方で、気力と精神力も擦り減っていく。増えるのは刈り取られた草と税金。それでも老人は額に汗を垂らしながら今日も山へ芝刈りに行く。自分は芝を刈るために生きているのだろうか。何のために生きているのだろう。何のために生きてきたのだろう。

ふぅ。一人の老婆が、川辺に一枚の古い布を敷き、湧水が流れ込む清らかな小川のそばに、静かに腰を下ろす。その水は、かつて不治の病を治したとされる「神の聖流」と言われていた。村人たちはこの川辺を神域とし、異変や体調不良を呈したときに「清めの場」として利用していたのである。その名残から、村人たちはことあるごとにこの聖域に集まり、水神との交信をするようになった。川という存在自体に信仰が生まれていたのである。

「ばあさま、うちの次男が、嫁を連れて戻ってくるというのですが…何か神のお言葉を…」「ふむ…。水神様に一度問うてみよう、しばし待たれよ」「はい、どうかお願いします」

老婆は懐から薄汚れた紙切れをこっそりと出し、手の中に隠した。その紙にはビッシリと呪文のような言葉が書かれている。老婆は目を細めて、紙切れの文字を目で追った。よし、今日はこれを読み上げよう。

「ふむ…。それは赤き鳥が西に鳴いた印じゃのう。おまえさんの家の西側に水の器を置きなされ。それで嫁の本心が透けて見えてくるはずじゃ。水神様がそうおっしゃっとる」

「おお…水神様、ばあさま、ありがたや…。次男の嫁は気が強くて、わしらの家を乗っとろうとしておるようなのです…。彼奴の本心を知る方法がわかれば、じいさまもわしも安心して過ごせそうです…」

「ばあさま、我が子が夜な夜なうなされるのです。霊の仕業でしょうか…?」
「ばあさま、婚約者の男性は不貞をしていないでしょうか…結婚しても良いでしょうか?」
「ばあさま、水神様は今のわしを見てなんとおっしゃっていらっしゃるでしょうか?」

なぜこんなことになってしまったのだろう。朝の洗濯のついでに、冗談で友人に「神様はこう言ってる」と言ったのが、妙に当たった。村人のひとりがその話を聞き、翌日には「ばあさまに神が宿っておられる」と言いふらしたのだ。

清流の雰囲気と伝説も相まって、その日から「神の声が聞こえるばあさま」として、毎朝この場所に宣託に来ることになったのだ。しかし、本当は神の声など聞こえやしない。全て当てずっぽうなのだ。しかし、人々は毎朝私がここへ来ることを期待している。宣託の種類を増やすために、夜な夜な文章を考え紙切れに書き入れる日々。

「神様。もし、ほんとうにおられるなら、わしを罰してくだされ」

時折一人で川の水を眺めながら老婆はつぶやく。皮肉にも本当に宣託を求めていたのは毎日宣託をしている老婆自身だった。しかし、返事はない。

美しき清流とは裏腹に、承認欲求と欺瞞に満ちた自分の薄汚れた性根が洗われることはあるのだろうか。正しさとは何なのだろうか。希望とは何なのだろうか。人々の幸福とは何なのだろうか。老婆は痩せ細った指でそっと水面に触れた。冷たい水が肌を打つ。たったそれだけのことで、涙が出そうになる。本当は、もうとっくに限界なのだ。けれど、誰にも言えなかった。

 

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寝る前に子供に桃太郎をアレンジしながら読み聞かせていたのですが、ただ楽しいだけじゃなくて、いろいろ考えさせられる重い雰囲気の桃太郎もおもしろいかもしれないと思い、筆を取りました。

「おじいさんはやまへしばかりに おばあさんはかわへせんたくに」というサラッと流されてしまう部分にも、実は何か背景があるのかもしれません。もしかすると、桃太郎が生まれることで鬼退治以外のカタルシスがあったのかもしれません。本当はみんな「何かをせざるをえない状況」で、少ない選択肢の中で悩みながらも最善を選んでいる。それは猿も鳥も犬も鬼も、そしてあなたも同じだったりするのかもしれません…。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。甘酒と文章を書くことも好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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