これまでに僕は「うまくいく」という状態について思索してきました。
>>あなたの「うまくいく」は本当に「あなた」のうまくいくなのだろうか。
なぜ僕がこの「うまくいく」という状態を向き合わなければならなかったかというと、占いを研究している上で必ず「吉凶」という概念が出てくるからです。
気学においても当たり前のように「吉方位」「凶方位」という言葉が使われておりますが
では「吉」とは何か?「凶」とは何か?と問われると
おそらく多くの人たちが
吉…幸福、運勢がいい状態、自分にとって良い事が起こる
凶…災いが起きる、運勢が悪い状態、自分にとって嫌なことが起こる
といった認識なのではないでしょうか。
「幸運」か「不幸」かは人によって同じ事象でも感じ方が違います。
果たして吉凶に明確な差はあるのでしょうか。
事象自体に吉凶は存在しない
易経の繋辞上伝に下記のような言葉があります。
吉凶とはその失得を言うなり。悔吝(かいりん)とはその小疵を言うなり。
吉凶を弁ずるものは辞に存し、悔吝を憂うるものは介に存し、震きて咎なきものは悔に存す。
吉凶の定義の答えを易に任せるとすれば、「吉」は得る事であり、「凶」は失うことです。
そして吉と凶の境界は「悔」と「吝」にあると言っており
「悔」は文字通り「悔い改めること」で「吝」は「思い切りがない、ためらう、ケチる」です。
つまり、ある一定の事象に対して「きちんと向き合うか」「向き合うことおろそかにするか」の境界が吉凶の境界だと述べているのです。
目に見えるあらゆる事象から卦を建てる「心易」はこれを具現化したものであり、「事象を偶然としない」という根底があるからこそ成立する卜術はまさに「向き合うこと」の塊と言えます。
吉…得る事。事象と向き合うことで「吉」となるのは、向き合うこと自体が「得ること」につながるため。
凶…失う事。事象を軽視及び無視すること自体が「得るチャンス」を損失している。
これらのことから言えることは事象自体には吉凶は存在しないということです。
あなたの目の前に1冊の本があること自体は吉でも凶でもありません。
その本を手にとって読む事は「吉」であり、その本を手に取らずに放置することが「凶」なのです。
となってくると、本来の意味で気学における「吉方位」というものは
「やったー!この方角へ行ったら彼女ができました!」ということが起こる方位ではなく
「なぜ自分には彼女が出来ないのか、これは日々の行動を振り返ってみよう」と考えるようになる方位と言えます。
「悔」の蓄積が「吉」を呼び、「吝」の蓄積が「凶」を呼ぶわけであり、それが表面化することをそれぞれ「吉事」「凶事」と呼んでいるわけです。
汚い部屋は「向き合わない」の塊
部屋を掃除すると運気が上がるという記事を過去に書きましたが
整理整頓清掃されていない空間というのは、その家の住人たちから「きちんと向き合えてもらっていない空間」ということになります。
向き合ってもらえていない、掃除する時間をケチられた家は「凶の空間」となります。そりゃ人間だって無視されたらスネますよね。それと同じで家やモノも怒るわけです。
お風呂に入らないで何日も過ごすと体に垢がたまるように、きちんと向き合わないと凶が蓄積し大きくなっていきます。
「逃げること」は凶を呼ぶ
となってくると、何か事象が起こったときにそこから「逃げ続けている人」は凶事を招き続けるわけです。
その事象はきちんと向き合って欲しいから発生しているにも関わらず、そこから目を背けたり、無視したりし続けているとより大きなシグナルとなって事象は起きます。
植物を無視して水をやらないでいると枯れてしまいます。きちんと植物と向き合い手入れすることで植物は生き続けやがてはあなたに果実や安らぎを与えてくれるかもしれません。
これと同じで自分の気持ちときちんと向き合わず、ごまかし続けることで自分は滅びてしまいます。
向き合わなかった結果はわかりやすく「病気」や「事故」といったシグナルとして現れる。易経はそう言っているわけです。
しかし、何度もいうように「事象はあくまで事象」です。
この事象自体に吉凶はありません。この事象にどう向き合うのか。そこに「吉凶」があるわけです。
その事象に向き合うよう促し、軌道修正することが僕の仕事かもしれない。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) 2018年3月1日
他者との比較は自分と向き合えていない
「うまくいかない」と思って生きている人は、マスメディアやあなた自身が勝手に作り出した「空虚のうまくいく状態」と現状を比較しています。
しかし、厳密に比較することは不可能です。なぜならあなたが比較する対象となる人物や状態とあなたは全く条件が違うからです。
“キムタクと同じ年齢なのに、俺は全くイケてない”と思うこと自体が、全くのナンセンスなのです。年齢が同じだったとしてもそれ以外の基礎条件が違いすぎます。
「自分はうまくいかない」と思って生きている人は、このようなピーマンと恐竜を比較するような無茶な比較をして勝手に傷ついたり、へこんだりしています。
他人や過去の自分と比較することは、自分と向き合えているようで全く向き合えていません。
そのため「うまくいかない」と思っている人は「吉」ではなく「凶」の状態が続くのです。
誰かと比較せずに、素直に「今の自分」と向き合う。そして自分は「今の自分」が好きかどうか。
それだけで「吉」の状態を作ることができるのです。
にしけい