鬼門とは何か?
鬼門とは、北東(艮・丑寅)の方位のことです。陰陽道では、鬼が出入りする方角として忌み嫌われてきました。その反対側の南西(坤・未申)を裏鬼門と呼び、この二つの方位に玄関や水回りを作ることは凶とされています。
赤色の部分が鬼門・裏鬼門
この2つの方位に玄関や水回り(トイレ・風呂・キッチンなど)を作ることは、陰陽道では凶とされています。
これだけ聞くと、古代中国から伝わった風水の一部のように思えますが、実はそうではありません。鬼門は中国と日本で全く異なる発展を遂げた概念で、日本独自に魔改造(ローカライズ)されています。
結論から言うと、鬼門は「信仰」です
まず最初に僕のスタンスを明確にしておきます。
僕は家屋や建物を見させて頂くお仕事をしていますが、実際の鑑定で鬼門や裏鬼門の考え方を採用していません。
やっているうちに、実際の間取りや方位の吉凶とは無関係だと気づいたからです。
「あれ?巷では鬼門や裏鬼門が大事って騒がれているけれど、実際どうなのだろう?」と思い調べていくと、鬼門は風水や家相とは別ルートで派生した、日本独自の民間信仰に近いものだということがすぐにわかりました。
もし他の占い師や風水師が鬼門を強調している場合、それによって都合の良いビジネスモデルや立場を形成している可能性が高いです。いわゆるポジショントークですね。
ただし、誤解しないでほしいのですが、その立場や信仰自体を否定しているわけではありません。鬼門を信じる人にとっては対策する価値がありますし、現実的・実際的なところを重視するのであれば、それもまた良しというスタンスです。
では、なぜ鬼門がこれほど日本で広まったのか。その歴史を学術的な視点も交えながら追っていきましょう。
陰陽五行思想を取り入れた二つの流れ
話は古代中国に遡ります。中国で生まれた陰陽五行思想は、自然界のすべてを陰陽と五行(木火土金水)で説明しようとする哲学でした。この思想は、中国では主に二つの流れに吸収されていきます。
一つは儒教です。儒教は紀元前551年に生まれた孔子を開祖とする思想で、人間関係の秩序や社会の安定を重視しました。陰陽五行説は、儒教において政治理論や王朝交代の正統性を説明する道具として使われました。
漢代には讖緯説(しんいせつ)という形で儒教に取り込まれ、国家統治の理論的基盤となりました。つまり、儒教における陰陽五行は、どちらかというと政治哲学の一部でした。
もう一つは道教です。道教は老子や荘子の思想をベースに、神仙思想や民間信仰が融合して生まれた宗教です。後漢末期(2世紀末)に張陵や張角によって教団が創始され、不老長寿を求める修行法や、符籙(お札)を使った呪術、風水などが道教の実践として発展しました。道教における陰陽五行は、個人の健康や長寿のための実践技術でした。
中国では現在も儒教・道教・仏教の思想が混在していますが、人々は場面場面で使い分けながら生活を営んできたようです。
めちゃくちゃ乱暴な比喩になりますが、学校のヒエラルキーに置き換えると…
儒教(優等生)
計画的に勉強。先生に質問。塾に通う。正攻法で志望校を目指す。生徒会や学校行事でも中心的人物に。
道教(独自ルート組)
優等生層とは違うルートで成功を狙う。「一夜漬けテクニック」「この参考書が最強らしい」「徹夜で詰め込めば何とかなる」受験お守り10個。願掛けや裏技的なものを模索する。
仏教(諦めと悟り組)
卒業後(来世)に期待する。「浪人したら本気出す」「社会に出たら学歴関係ないし」「人生は受験だけじゃない」と悟る。
何度も言いますが、これはあくまで儒教と道教の違いをなんとなくイメージで掴みやすくするための比喩で、固定的なものではなくそのときどきで自分に合うスタイルを取り入れながら…という感じです。
話を戻すと、中国では陰陽五行思想は「儒教の政治理論」と「道教の養生術・呪術」という二つの形で発展したわけです。
重要な点は、中国には鬼門という概念の生みの親とも言える「陰陽道」という独立した体系は存在せず、日本独自に生み出された…という点です。
日本に伝わった陰陽五行
日本に陰陽五行思想が伝わったのは、遣隋使や遣唐使を通じて飛鳥時代から奈良時代ごろです。
601年に百済の僧侶・観勒が天文書と地理書(風水と同義)を持って日本に到着したことが『日本書紀』に記録されています。
この時、知識の伝達は主に朝鮮半島の百済を経由しました。百済や新羅からの難民や元僧侶たちが、そのまま天武天皇のもとで新設された陰陽寮のオープニングスタッフとなりました。
しかし、伝えた人物が主に仏教僧だったこともあり、科学的・哲学的な側面よりも、宗教的・呪術的な側面が強調されて伝わりました。
道教自体は日本の朝廷に拒絶されましたが、道教の哲学や実践システムは仏教のネットワークを通じて日本に伝わり、密教的宇宙論や民間信仰に大きな影響を与えました。
当時の日本には、中国のような体系的な思想や科学がありませんでした。そのため、陰陽五行は「なんかよくわかんないけれど、すごい外国の知識」として、かなり神秘的なものとして受け止められました。
日本の魔改造によって生まれた陰陽道
平安時代に入ると、日本では陰陽道という独自のシステムが確立されます。何度も言いますが、中国には「陰陽道」という体系は存在していません。
701年の大宝律令によって「陰陽寮」という国家機関が設置されました。これは唐の太史局と太卜署の機能を合わせ持つ組織で、陰陽師、天文博士、暦博士、漏刻博士などが所属しました。
陰陽寮には陰陽博士が1-2名、陰陽師が6名、そして見習いとして陰陽生が10名配置され、暦の作成、天文観測、吉凶の占い、そして祭祀や呪術までを担当しました。
なぜ日本でこのような独自の魔改造が行われたのか?
それは平安時代の社会背景と深く関係しています。
794年、平安京への遷都は陰陽道の発展における分水嶺となりました。
平安京の建設によって人口が集中し、衛生環境が悪化しました。疫病が頻繁に流行し、多くの人が亡くなりました。さらに、藤原氏を中心とする政治闘争が激化し、政敵が失脚して非業の死を遂げることが相次ぎました。ここから空前の「怨霊」と「呪術」ブームが始まります。
当時の人々は、疫病も政争の犠牲者も、すべて怨霊の祟りだと考えました。785年の藤原種継暗殺事件以降、桓武天皇の弟である早良親王が無実の罪で憤死し、その怨霊が災いをもたらすと恐れられました。
伊予親王をはじめとする皇族たちの怨霊が、社会に災いをもたらしていると信じられたのです。863年には神泉苑で御霊会が開催され、怨霊を慰める儀式が国家的に行われました。
この恐怖に対応するため、陰陽道は急速に呪術化していきました。道教の呪法、密教の祈祷、神道の祭祀が混ざり合い、日本独自の呪術体系が生まれました。867年には、疫病と戦う儀式の中で陰陽道が正当な魔術的・儀礼的潮流として認められました。
平安時代中期には、賀茂光栄(939-1015年)と安倍晴明(921-1005年)が天皇や藤原道長(966-1028年)のような有力貴族にサービスを提供しました。
賀茂家は暦を、安倍家は天文を専門とし、両家が陰陽頭などの官職を独占していきました。安倍家は平安中期までに泰山府君祭という延命祈願の秘儀を独占的にコントロールするようになりました。
陰陽道は国家機関として権威づけられ、天皇や貴族の生活のあらゆる場面に関与しました。方位の吉凶、日時の選定、病気の治療、怨霊の鎮魂。陰陽師たちは宮中で様々な祭祀を執り行いました。
日照りが続けば雨を降らせるための五龍祭、疫病を祓う鬼気祭、延命祈願の泰山府君祭など多岐にわたりました。
やがて安倍家と賀茂家が陰陽道を世襲する家業として独占し、秘伝として伝承していきました。
これは中国にはない、日本独自の発展でした。
陰陽道が生まれたプロセス
794年 平安京遷都
衛生環境悪化
怨霊信仰の爆発的広がり
伊予親王
政争犠牲者多数
御霊会(国家的怨霊鎮魂)
陰陽道を正式認定
鬼門の初出と日本への伝播
では、鬼門という概念はどこから来たのか。
最も古い記録は、中国の『山海経』という書物です。これは戦国時代から漢代にかけて成立した地理書で、中国各地の神話や伝説を集めたものです。
鬼門の元ネタとなった『山海経』には下記のような記述があります。
「度朔山は『青い(東の)海の中心』から現れる大きな桃の木の上にあり、その枝の東北方を鬼門といい、萬鬼が出入りする。山上には神荼(しんと)と鬱塁(うつるい)という二柱の守護神がいて、悪霊を捕らえて虎に食わせる」
後漢時代(27-97年)の王充が著した『論衡』という書物にも、この『山海経』の鬼門記述が引用されています。
王充は「鬼門」を「死者の霊の門」として記述しました。つまり、鬼門という言葉自体は中国起源です。
この『山海経』が日本に伝わったのは宇多天皇の時代(887-897年)とされています。この鬼門の伝説が、日本に元々あった「丑寅の金神」という祟り神の信仰と融合しました。
鬼門概念の形成プロセス
東北方
萬鬼の門
北東方位
祟り神
絶対的凶方位とする概念
平安時代後期になると、不安定な政治情勢の中で、この鬼門信仰は急速に広まります。
京都御所の北東の角は「猿ヶ辻」として凹ませて作られ、木彫りの猿が金網に入れられて鎮座しています。比叡山の延暦寺は平安京の鬼門を守る寺として位置づけられました。
平安京は四神相応(東西南北に四つの霊獣が守護する理想的な地形)の理論に基づいて設計されましたが、平安京の建設前に、既に北東方向に寺社が戦略的に配置されており、意図的な鬼門に対策が行われていました。
江戸時代には、江戸城の鬼門に寛永寺が、裏鬼門に増上寺が配置され、都市設計レベルで鬼門対策が行われたことで、鬼門は日本社会に深く浸透しています。
2015年には京都のNPOが調査を行い、京都市内中心部だけでビルや店舗、一般住宅など約1,100ヶ所に鬼門除けがあることを確認しています。
日本独自の鬼門対策技術
日本では中国にはない独自の鬼門対策技術が発展しました。
主に4つの方法があります。
1.北東方向に寺社を建設する
2.建物の北東の角を切り取る(隅切り)
3.北東方向に娯楽地区を設置して不吉なエネルギーを中和する
4.南天や柊などの植物を植える
特に、2つ目の「隅切り」は日本独自の発展で、建物の北東の角を物理的に削ることで、鬼門の影響を減らせると考えられました。京都御所の築地塀が北東だけ凹んでいるのは、この考え方に基づいています。
また、陰陽師たちは様々な呪術的実践を行いました。反閇(へんばい)という足踏みの儀式は、悪霊を地中に押し込めるためのもので、廃屋から鬼を追い出したり、旅行者を守ったりするために使われました。泰山府君祭は、中国道教の泰山の神を祀る延命の秘儀で、安倍家が独占していました。
中国では全く重視されていない事実
「鬼門」という言葉自体の起源は中国ですが、中国では鬼門はほとんど重視されていません。
中国と日本では鬼門の概念が大きく違います。
中国風水は形態重視の風水(巒頭派風水/形勢風水)で、山や川の形、地形の特徴を重視しました。一方、日本の陰陽道は「方位制御、特に北東の制御」に焦点を当てました。
中国風水の古典である『黄帝宅経』を読んでみると、鬼門についての記述が矛盾しています。ある箇所では「鬼門は避けるべき」と書いてあり、別の箇所では「鬼門は大切にすべき」と書いてあります。つまり、中国でも鬼門には統一された見解がなかったのです。
実際、中国の伝統的な建築や都市設計を見ても、鬼門を特別に忌避した形跡はありません。北京の紫禁城の配置を見ても、鬼門対策らしきものは見当たりません。
朝鮮半島の風水にも森林・寺院・人工の丘を通じて景観を修正することに焦点を当てる「形式的風水」というものがありますが、日本の鬼門の概念ほどシンプルではなく、どちらかというと中国の巒頭派風水寄りです。
中国では漢代に陰陽五行思想が「脱神話化」されたのに対し、日本の陰陽道では牛頭天王のような新しい神話的物語の発展を通じて「再神話化」が起きたと指摘している論文もあり、中国では単なる暦の指標だった暦神が、日本では個別の崇拝対象になりました。
中国では陰陽五行は儒教と道教に吸収され、鬼門はただの伝説の一つに留まりましたが、日本では陰陽道という国家機関を通じて、鬼門が呪術的に重要視され、独自の信仰として発展していったのです。
日本の家相や風水における鬼門の取り扱い
では、日本の家相や風水ではどうなのか?
確かに、一般的な家相の本を開くと「鬼門に水回りを作るな」「裏鬼門にキッチンを置くな」という記述があります。
しかし、実際の間取りを何百件も見ていくと、鬼門と吉凶の関係が見えてきません。
鬼門(北東)に水回りがあっても問題ない家もあれば、鬼門を避けているのに問題が起きる家もあります。つまり、鬼門は実際の住環境の吉凶を決める要因になっていない場合が多いです。
鬼門を特別な方位としてみなすのではなく、「特定のエリア(方位)の1つ」というフラットな観点で見た方が、実情と近いですし、書籍などを読んでいても家相を本当に突き詰めた人ほど、鬼門の考え方を採用していません。
おそらく、検証していくうちに無関係だと気づくからです。
日本の気候など踏まえて、北東(鬼門)を考慮するとしたら、北東から冷たい季節風が入り込むと湿気が溜まりやすく、昔の住宅だとそこに風呂やトイレがあると寒い&不衛生になりやすい…という観点から水回りを避けるのはありかもしれません。
水回りの寒さと衛生状態が泌尿器系や生殖器系に影響を与えるという観点から、子孫や子宝と関係する可能性もありますが、現代においてはそれだけが原因とも言い切れません。とはいえ、現代の家には断熱材や換気設備があるため、技術的に改善が図られているのも事実です。
江戸時代にすでに気づいていた人がいた
実は江戸時代に、新井白石という学者が『鬼門説』という本を書いています。
白石は徳川幕府の6代将軍家宣と7代将軍家継の侍講(家庭教師のような役割)を務めた知識人でした。
白石は『鬼門説』の中で、鬼門の矛盾を徹底的に指摘しています。京都御所の塀を凹ませたり、江戸城の門の名前を「筋違橋門」に変えたりして鬼門対策をしているが、方位自体は何も変わっていない。そんなことで本当に鬼が避けられるなら、そもそも鬼門に何の意味があるのか、と。
白石は『黄帝宅経』の矛盾する記述を指摘し、「鬼門には統一見解が存在せず、定まった根拠のあるものではない」と結論づけています。つまり、300年前にすでに鬼門の非合理性を見抜いていた人がいたのです。
それでも鬼門信仰が続いたのは、それが「信仰」だったからです。合理性ではなく、人々の恐怖心と結びついていたからです。
結論:鬼門は日本独自の民間信仰
鬼門は、中国の神話を元にしながら、日本で独自に発展した民間信仰です。
中国では形態重視の風水が発展したのに対し、日本では平安時代の怨霊恐怖と結びつき、北東という方位を制御する独自のシステムが生まれました。風水や家相とは別ルートで派生したものであり、基本的には別物です。
もし現代でも鬼門を強調している専門家がいるとしたら、それはその人の立場上、採用しておいたほうが都合が良いのでしょう。
しかし、何を信じるかは個人の自由です。
鬼門を気にされる方には対策する価値が十分あると思いますし、気にされない方には現代における実用面を重視されたほうがいいと思います。
僕も普通に神社に参拝しますし、葬式や法事も仏教のやり方で受け入れていますし、おまじないや願掛けによってパワーを発揮する人たちがたくさんいることも知っています。
大切なのは、「鬼門」が何なのかを知った上で、自分がどう付き合うかを選ぶことです。盲目的に恐れる必要もありませんし、頭ごなしに否定する必要もありません。
にしけい
参考文献
学術論文・書籍
- •Antoni, Klaus. “Death and Transformation: The Presentation of Death in East and Southeast Asia,” 1982.
- •Bialock, David T. “Eccentric Spaces, Hidden Histories: Narrative, Ritual, and Royal Authority from The Chronicles of Japan to The Tale of the Heike,” 2007.
- •Como, Michael D. “Weaving and Binding: Immigrant Gods and Female Immortals in Ancient Japan,” 2009.
- •Faure, Bernard. “The God Daishōgun: From Calendar to Cult,” 2012.
- •Faure, E. “La Fondation de Heian-Kyô Ou Comment Obtenir La Paix Et La Sûreté Dans Une Capitale,” 2019.
- •Ooms, Herman. “Yin-Yang’s Changing Clientele, 600-800,” 2012.
- •Richey, Jeffrey L. “Daoism in Japan: Chinese Traditions and Their Influence on Japanese Religious Culture,” 2015.
- •Shen, Yiwen. “Authority over Death: Two Tales Related to the Lord of Mount Tai in Konjaku Monogatarishū,” Religions, 2023.
- •Shigeta, Shin’ichi, and Luke Thompson. “Onmyōdō and the Aristocratic Culture of Everyday Life in Heian Japan,” 2012.
- •Watanabe, Yoshio. “Two Kinds of Feng-Shui History in Japan: Science and Divination,” 2015.
- •Yamashita, Katsuaki, and Joseph P. Elacqua. “The Characteristics of On’yōdō and Related Texts,” 2012.
日本語文献
- •新井白石『鬼門説』
- •藤巻一保『安倍晴明『簠簋内伝』現代語訳総解説』戎光祥出版、2017年
- •繁田信一『陰陽師と貴族社会』吉川弘文館、2004年
- •繁田信一『安倍晴明 陰陽師たちの平安時代』吉川弘文館、2006年
- •山下克明『陰陽道の発見』NHK出版、2010年
- •村山修一『日本陰陽道史総説』塙書房、1981年
- •中村璋八『簠簋内伝の研究』
- •エクスナレッジ『建築知識』2024年7月号
古典文献
- •王充『論衡』(後漢、27-97年)
- •『山海経』(戦国時代~漢代)
- •『黄帝宅経』(唐代以前)
- •『日本書紀』
- •『続日本紀』
- •『作庭記』(11世紀)
- •『簠簋内伝金烏玉兎集』(鎌倉末期)
その他参考資料
- •Wikipedia「鬼門」「陰陽道」「道教」「儒教」「陰陽寮」
- •国文学研究資料館 日本古典籍データセット
- •Elicit Academic Search Engine(本記事の学術的裏付けに使用)
フラットかつ現実に即したに解説している家相講座も開講しています。
家相地相講座【守・破】1期
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