【気学あれやこれや】気学は存在するのか?/具体フェーズの話/現象重視の話/気学のこれから

いろいろな現象を観察していて思うことをつらつら書いてみます。

「気学」はあるのか?ないのか?

気学の方位作用は暦や方位線も大事なのですが、個人的見解としては「現象ありき」で読み解いていった方が深く読めるし、的中率が高いのではないかと考えています。つまり「相」を重視するということです。

これは僕自身が相術から気学に入った人間だからかもしれませんが、どうしても暦から予測できる方位作用が出ないことがあります。説明がつかないというか。それだけでは説明し切れない現象が多々起きてきます。

例えば「暗剣殺は凶方位とされている」わけですが、それでもやはりそのような方位に移動しても現象が現れないこともありますし、二黒の暗剣殺に向かっているのに象意を見ていると全く違う星の現象が出たりします。もっというと「じゃあ二黒の暗剣殺に行った場合何がどのように起こるのか?」をきっちり予測し切ることはできません。

これらの現象を説明し切るためには、気学の方位作用現象自体が「なぜ出るのか?」「なぜある程度規則性があるのか?」という根本的なことを疑っていかなくてはなりません。

ここで「ある程度」としたのは、完璧ではないからです。

方位作用が100%出るのであれば、極端な話、それを駆使した人たちは思い通りの人生になっているはずです。

それなのに、なぜか気学を研究すればするほど、方位作用を気にすればするほど、楽しくなさそうに見える、ひょっとすると不幸そうに見える人たちもいます(これは気学というツールに問題があるのではなく使うユーザー側に問題がありそうですが)

「気学を使って幸福を得た」という人たちもいると思います。平たくいうとポジティブな現象が起きたことで信じるタイプです。

しかしこれもその幸福を得たという結果に対して100%が気学が関与しているとは思えません。その人の日頃の努力だったり生まれ持ったものだったり、いろんなファクターが存在するわけです。

こんなことを書くと気学を全否定していると思われるかもしれませんが、そうではありません。現象を観察しているとやはり「ある程度」は出てきます。

 

具体フェーズからの脱却

で、この「ある程度」というのは読み手の僕の知識や実力不足を疑う人もいます。しかし、細かいテクニック的な事や流派による読み方の違いの議論はここではしません。

この場で主張したいのは「根本的な部分を疑わなければならない」ということです。そもそも流派や考え方、細かいテクニックの違いが生じている時点でそれらはすでに「具体フェーズ」に落とし込まれていて、これらは個人の話になってきます。

同じスマホを購入しても使い方が千差万別のように、具体フェーズで議論していても拉致があきません。

問題はその「スマホ自体」についてです。このスマホが何なのか?なぜそのスマホはボタンを押すとホーム画面に戻るのか?とか、そういった根本的な点を探求していかないといつまで経っても気学の、占いの、本質が見えてこないと思うのです。

古典原典主義ではない原点主義へ

このような流れから「より古いもの」「より原典」を知れという流れになります。それゆえ昨年はかなり古典のインプットを重点的にやりました。もちろん今もある程度は続けています。

しかし、どうもそれだけはいけない気がしてならず、冒頭に記述した「現象」を重点的に観察していった先に根本的な答えがあるような気がしてならないのです。

より原典、より古典を遡ることは大事なのですが、それらが書かれた時代や文化が現代と大きく異なります。

特に方位作用のかなめとも言える「移動」に関しては、古典が書かれた時代にはなかった乗り物が大量に存在し、今後も我々が現在想像もしえない乗り物が生まれてくる可能性があります。

例えば、リニアを超えた先に「ワープ」とか出てきた場合、それは方位作用の対象になるのか、とか。そういった議論も必要になるわけです。

で、こういった「環境」が大きく異なった状況で「具体フェーズ」で議論していると、全く話が噛み合わないわけです。

スマホでパズドラをインストールして遊んでいる人と方位ポンをインストールして九星盤を眺めている人では議論の余地がないのです。

なので、本ブログでも細かいテクニック的なことを書くのはなるべく避けてきました。

それは他流派や他の考え方をもった人の批判を受けるのが怖いから…というものではなく、議論自体にあんまり意味がないと思ったからです。

僕が日々方位作用を観察する上で考えていることは「移動とは何か?」とか「向きとは何か?」とかそういったことです。

そしてこれらを解明しないと「方位作用」の仕組みが解明できません。

古典と呼ばれる書籍が書かれた時代と大きく環境は異なりますが「人間が移動や環境によって何か影響を受けてそれを考察する」という行為は変わりません。

「人間」が「移動する」ということは何なのか。何が起きているのか。そういったことを突き詰めていかなくてはならないと日々考えています。

 

謙虚さと素直さを失った瞬間、探求は終わる

すべてを解明するにはヒトの寿命は短すぎます。ただそれでも自分が興味をもった分野や世界においては「もっと知りたい」という気持ちが湧いてきます。好奇心です。

気学という分野も同じで、これまでツラツラと申し上げたように「根本的なところ」がよくわかっていません。

それゆえ研究対象としては好奇心が尽きない分野です。研究していった結果、もしかしたら「気学なんてない」という答えにたどり着くかもしれません。それはそれでいいと思います。

しかし、それよりも恐ろしいことは「探求の手を止める」ことです。

何度も言うように、我々が気学に対して見出しているのはあくまで「具体フェーズ」がほとんどです。

北や東といった「当たり前」だと思っていることすら正直具体フェーズだと思っています。一応これらの東西南北の定義をしておかないとさらなる具体フェーズの議論にならないため、仮で決定していますが、そもそもこれらが一体何なのか?という真実はわかっていません。

気学の気は「磁気」だというヒトたちもいますが、では超強力な磁気を浴びれば方位作用は無視できるのか?とかそんな疑問も湧いてきます。とにかく「仮で正解としておくそれっぽい答え」が山のようにあるわけです。

これらを少しでも解明するためには、とにかく素直な気持ちで現象を観察し、検証していく謙虚さが必要です。

 

具体フェーズの集約作業が必要

無駄な具体フェーズの議論を避けると先述しましたが、より抽象度の高い法則性を見つけるためには、具体フェーズの集約作業が必要です。

この作業をする上で、いかに偏見や執着を捨てて現象を観察分析できるかが重要になると考えています。

どうしても特定の具体的法則が頭の中にあると、その法則にそぐわないデータがあると除外してしまう可能性が高いからです。

イレギュラーとして除外してしまうと、それは「説明すること」「探求すること」を放棄することにつながります。なので、とにかくなるべく素直にフラットな観点から現象を観察する必要があります。

 

自由になるためには素直さが必要

「俺は気学を、ヒトのことについてよーくわかっている」とか「私は方位作用をすべて理解しています」という考えがある時点で、僕はその人物を信用できません。

根本的に何なのかわかっていないことが多すぎるこの分野において「わからないけれど、こういう実験を行ったらこうなった」というフラットで素直な姿勢で臨んでいかないと、いつまで経っても具体フェーズから抜け出せず、少しも源流点に近づくことができないのです。

ちょっと毒吐きますけど「○○流気学」と名乗ること自体、僕は恥ずかしいというか損失だと思ってしまいます。

なぜなら人名をつけた時点で「超具体フェーズ」である「個人」というものに縛られ、現象や考えが収縮し不自由で全くクリエイティブではないからです。

縛られたいヒトにはいいかもしれませんが、僕自身は全く価値を見出せません。

僕が「にしけい流気学」とか名乗りだしたらついに頭がおかしくなって思考停止して不自由で恐怖心が強いヒトになったと思ってもらって大丈夫です。

素直さ、謙虚さの先に自由があると思うのです。

 

卜術寄りになっていく?

そんな中で気学以外の現象データや情報も集めつつ、思考を繰り返していく中で「気学の卜術化」が進んでいるような気がしています。

時間が加速していく中で「より速い」テクノロジーがたくさん生まれていますし、もっと速いものが生まれてくる可能性があります。

1000年前の人々が新幹線や飛行機を目の当たりにしたら「ワープした」と思うかもしれません。つまり1000年後には我々が「ワープした」と感じてしまうぐらいのテクノロジーが生まれているかもしれませんし、それは実際ワープしているのかもしれません。

この加速する時間や時代の流れの中で「気学」というものを探求するとしたら「根本的な原理だと思っている法則」を脱却するタイミングがくるかもしれません。もしあなたが気学を勉強研究されている方でしたら、あなたが考えている根本的な「法則」が通用しない時代がやってくるかもしれません。

そうなってくると今のうちからより「根本」を意識して探求していかないと、後世に伝わるころには「なんだこれ当たらないな」とか「このにしけいってヒトが考えた法則当たらないんだけど、何で?」と子孫後輩たちを困惑させてしまうかもしれません。

ただ、ひとつ言えることは時代が加速することで、これまで観測できなかったより多くの「具体フェーズ」のデータが得られるようになってくるわけです。これにはワクワクせざるを得ません。

具体フェーズの種類をたくさん集めれば集めるほど、それらを集約したときに「より真実」にたどり着けると思います。

基本的に、未来が楽しみです。

 

にしけい

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

小学生でもすぐに読める風水・地相・家相の本を書きました。読まれた方の頭の片隅に「風水・地相・家相ってこういうことをやっているのか」というイメージが少しでも残れば幸いです。

手相の入門書としてたくさんの方々に読んでいただいる1冊です。

日本で初めて花札を占いのツールとして体系的にまとめた入門本です。気持ちや感情の変化を読み取ることに長けた占いです。

方位作用?吉方位?凶方位?距離…気学の気になることを身をもって実験・検証した記録を綴った1冊です。失敗や家族を巻き込みながらも得られた「気学の本当のところ」をまとめています。

「手相占い」というものをバラバラに分解してこうなっているのかと観察する1冊なので、正直手相占いに夢や幻想を抱いている人は読まない方がいいです。でも、それが夢や幻想だと気付きつつある人には「薄々気付いていた曖昧なこと」を完全にぶっ壊してスッキリさせる1冊です。

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