単純な話で、何かにぶつかるということは、方向転換が必要になっているわけです。そのまま進み続けると頭をぶつけ続ける、文字通り「頭打ち」になってしまうわけですね。今までのやりかたを変える必要があるわけです。
うまくいかない状態に陥ると、拗ねて塞ぎ込んで自暴自棄になって何もしなくなる人もいます。その気持ちもわからなくないのですが、それは過去のセルフイメージを捨てきれていないという状態なんですね。「プライドが高い」という状態も、セルフイメージの固定によって起きます。うまくいっていたときのセルフイメージを捨てられないと、変化が求めらるような状況になったときに、頑なに方向転換を拒んでしまうわけです。
「逃げること」というのも一種の方向転換です。「逃」という漢字は「二手に分かれて走る」というコアイメージがあります。要するに「分岐」が起きるわけです。分岐というのは「枝分かれ」なので、そこから可能性が広がっていきます。分岐は四緑木星や十二支の巳のコアイメージなので、逃げることは四緑木星や巳の象意をクリティカルに取り入れることができます。そして、逃げることで可能性・選択肢が広がるわけです。真正面から突っ込んで大怪我を負うぐらいなら、逃げて他の可能性を模索することも大事です。
役に立つ「逃げる」と役に立たない「逃げる」
ちょっと前に「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマ(漫画)が流行しましたが、役に立つ「逃げる」と役に立たない「逃げる」があります。
何度も言いますが、「逃げる」は選択肢を広げることが目的です。逃避した結果自分で袋小路に入ってしまうような場合、選択肢が減ってしまう可能性があります。この場合は厳密にいうと、「逃」ではなく「退」になります。「逃」と「退」は似ているのですが、本来は「逃」のほうがポジティブです。「退」はより固定化を進めてしまうので、やや殻に閉じこもる状態になります。
周易の卦に「天山遯」という卦がありますが、この「遯」を「退却する」という風に翻訳・解説している媒体が多数ありますが、「遯」と「退」も別の漢字が使われている以上、意味が全く異なります。
「退」の場合は一度構築したものを盤石にし、固定度を高めていきますが、「遯」は予測不能領域から一度落ち着いて整理するためにホームに戻ってくるようなニュアンスがあります。
根本的な違いとしては「遯」は一度、冒険に出ていますが、「退」はまだ冒険には出ておらず、既に構築した自分の城を守りたい…壊したくない…という消極性があります。
話を「逃げる」に戻しますが、あなたが取ろうとしている行動によって、ひとつでも多くの選択肢が生まれるのであれば、それは「役に立つ逃げる」です。
例えば、職場であまりにも人間関係がつらすぎて胃を患ってしまったとします。そこで、転職活動をしようと考えるのであれば、それは選択肢が増えるため「役に立つ逃げる」になるでしょう。
しかし、職場の人間関係がうまくいかないこと理由にお酒やギャンブルなどに走るの場合は「役に立たない逃げる」になる可能性が高いです。「現実逃避」は、きちんと「逃げる」が成立していないんですね。選択肢が増えるどころか減る可能性が高いからです。時間ばかりが過ぎていき、少しずつ選択肢が減っていきます。
なので、「きちんと逃げる」を成立するためには、その行為によって「選択肢が増えるかどうか」を基準に考えてみてください。専門家や詳しい人に相談するのもありです。外部から新しい情報がもたらされることで今まで気づかなかった選択肢に気づける可能性もあります。きついときほど、逃げることが大事ですし、逃げることで選択肢が増えるのであれば、それは恥でも何でもないです。しかし、「固定されたイメージ」を強めようとするような方向に向かうのであれば、それは「逃げる」ではないかもしれません。
話はとてもシンプルです。何かにぶつかったときに、方向転換をする。ただそれだけです。
にしけい