相変わらず周易の本を読み漁って自分なりに掘り下げて周易講座でお話ししておりますが。
雷沢帰妹という卦がありまして。この卦は「未熟な女の子が副妻として嫁ぐからちょっとうまくいかないよ」みたいな意味なんですけど、よくこの卦の解釈として「青年(震)」に「幼女(兌)」が付き従うので、アンバランスであり結婚生活(いろんなこと)が長続きしないって書いてあるものが多いんですね。
卦辞には「歸妹、征凶。无攸利」とあるので確かに不祥事が起きやすいとは言っていますけど、その理由が「青年に幼女が付き従うからだ」というのはなんかこうしっくりこないんですね。それなら逆に「30代ぐらいの女性(巽)」に「幼い男の子(艮)」が付き従う卦はどうなの?って思うじゃないですか。ショタコンというかいわゆる「おねショタ」パターンなんですけど。これは「風山漸」といって「結婚などは長く続く」と解釈している本が多いんです。ロリはダメでショタは長続きするってなんなんですかね?雷沢帰妹だけ結婚に関する卦だからなのか「男女の年齢差」や「成熟度の差」を指摘している本がけっこうあるんですけど、それって八卦の人象の当てはめだけでこじつけてませんか?
天沢履とかも「年長者男性(乾)」に「幼女(兌)」が付き従うから「助けが入ってギリギリでオッケー」みたいな解釈が多いんですけど、実際問題これも何か犯罪のにおいがするような男女の関係になっていると思うんですけど、どうなんでしょうね。易の解釈は自由で「連想派生例」は無数にあっていいと思います。でも、その卦の「意味」や「由来」を考える上では人象ありきになってしまうのは、こじつけというか「無理矢理感」が生まれてしまうのは僕だけでしょうか。
小児性愛は男性であろうと女性であろうと未成年とのみだらな行為等は逮捕されます。成人男性に幼女が結婚を志願することがなぜダメなのか。それを逆パターン(ショタ)との違いを明示できない限り、雷沢帰妹を「成人男性と幼女は釣り合わないからだめ」という解釈で説明するのはちょっと強引なのではないかと思います。
「女性と少年の恋は好きですが、成人男性と幼女の恋は許せません!」という趣味嗜好なんですかね。それなら天沢履や水沢節はどう説明するんですかね?雷沢帰妹だけ婚姻が絡んだ話だから無理矢理こじつけているのが納得いかないんですね。それで、こういう「納得いかない」というのが原動力になっていろいろ調べたり掘り下げたりしていくわけですが…
飲み込む為にバラす
【素直な気持ちで見てください】水風井・沢火革・火風鼎…本当にそう見える?
この記事でも書きましたけど、なんか何でも鵜呑みにしてしまう人が多いというか、鵜呑みできるならいいですけど、喉に詰まって自分の中でしっくりきていない卦辞の由来とかってありませんか?具体的な著者や研究者の明言は避けますが、正直「この解釈の説明でなんでありがたがれるの?」と思うことが結構あります。
長い年月をかけて先人たちが作り、語り継いできたものなんですから、そんな生半可なものじゃないと思います。先人たちをリスペクトしているからこそ、もっとおもしろくて有用性の高いものへと昇華できると思います。
だからこそ「中途半端なこじつけ」で納得するのは何かこう違和感があるのです。何度も言いますが易の解釈は自由だし、自分の解釈が全部正しいとも思っていませんけど、どうしても読み進めていて「え?」と思うポイントが多い書籍が多いなと。でも、こういう違和感から大きな発見があるので今後も積極的に読み込んでいこうと思います。
(自分が穿った見方しすぎなんですかね?疑いすぎなんですかね?でも納得いかないことって納得できなくないですか?)
ちなみに雷沢帰妹は抽象度を高めていくと、いろんなものに応用できます。高度経済成長期の製造業による環境汚染とか(ここ最近の)SDGsとかも帰妹っぽい動きですよね。デフレとかインフレもほぼ帰妹です。けっこう普遍的なんですよね。
実占の現場だと一度抽象度を高めたり、バラした状態でインプットしておかないとなかなか使いこなせないんですね。(使いにくいんですね)
こうやってレゴブロックみたいにバラバラにして柔軟に組み替えていくのも雷沢帰妹の作用だったりします。
易、もっとおもしろくなりますよ。
にしけい