ご相談や手相談室などの占い企画など、皆様のお悩みを聞かせていただいていて感じるのは、自分が抱えている悩みや問題を誰かに素直に開示できる人ほど、より素早く状況が好転していくことが多いということです。この「好転」というのは、選択肢が広がっていくことです。年齢を重ねたり、経験を重ねたりすると、誰かに自己開示することが怖くなってくる人もいます。
平たく言うと、プライドが高いという状態です。このプライドが高いという状態は、一言で言うとセルフイメージの固定が起きています。自分はこういう人間だ。こういう部分がある。弱い部分は見せたくない。そういったセルフイメージの固定が強くなってくると、だんだんと相談できる人も限られてくるようになります。相談できる人の範囲が限定されてくると、すごく苦しくなってくるんですね。
この誰かに自己開示するという作業には2つの大きなメリットがあると考えています。
言語化による視野の広がり
ひとつは「言語化」をする作業によって問題や悩みから少しだけ離れることができることです。言語化によって少しだけ俯瞰して自分の状況を見ることができるようになります。イメージとしては幽体離脱して空に向かえば向かうほど視野が広がるような感じでしょうか。自分を離れた分だけ遠くを見渡せるようになります。言語化はその一助になっています。
自己開示(言語化)しないことは悪いことではないのですが、「何も言わなくても分かってほしい」「察してほしい」という気持ちが強くなると、言語化の妨げになります。うまくできない場合もありますが、言語化しようとしてしないのと、初めから意図的に言語化しないようにしているのでは、全く違った結果をもたらします。
自己開示は局在化の緩和
二つ目のメリットは局在化(偏りが大きくなること)を緩和させ、精神的な負担を分散させます。
先端が尖ったもので刺すと致命傷になるように、範囲が限定されればされるほど力が集まり、ストレスがかかります。ホースの先を指でぎゅっと押さえると水の勢いが強くなるのと同じです。
自己開示は「範囲の限定」→「範囲の拡大」につながります。
普段から誰かに自分の気持ちや考えを言語化する習慣がなくなると、だんだんと言語化しにくくなっていきます。「自分の気持ち」を話せる相手を選別していき、範囲が狭まっていきます。範囲が狭まると依存や傾倒につながるので、なるべく分散しておいたほうが精神的なリスクヘッジになります。
誰にでも話せるような悩みばかりではありません。近すぎる人や知り合いには相談できないこともたくさんあると思います。だからこそ、僕のような「外の人間」のお仕事が成立するのだと思いますが、僕以外でも構いません。「自分の気持ちを話せる存在」はひとりでも多い方がいいと思います。
図にすると、こんな感じです。この図は何か問題が起きたときにヒントになるかもしれないので、スクショを撮ったり保存をしておいてください。
行動パターンの範囲が限定されているからうまくいっていないのに、セルフイメージを壊したくないがゆえに範囲をさらに限定しようとする心の働きによって生まれる言葉が、「誰も私のことを理解してくれない」です。
「誰も私のことを理解してくれないから、話さない」ではなく、厳密には「セルフイメージを壊したくないから、話せない」なのです。これをさらに短い言葉で言うと、「素直になれていない」という状態です。
相談できる人のほうが生き残りやすい?
自分の気持ちや悩みを誰かに開示する(相談する)ことができる人のほうが、視野が広がるチャンスにつながったり、精神的負担を緩和させられるので、選択肢が広がり事態が好転していく(悪いほうにはいかない)場合が多いです。
なるべく局在化(偏りが大きい状態)に到達する前に、少しずつ話せる相手を増やしたり、自己開示できるようになっておけると、より健全に過ごせるのではないでしょうか。
局在化が進めば進むほど、特殊な世界に向かうので、それはそれで何かが生まれるきっかけにはなっているのでしょうね。(芸事や技術の)「先鋭化」と「病み」は紙一重な気がしますが、どうしようもなくなったときに話し相手がいるかどうかって、けっこう生死を分ける大きなポイントになっているかもしれません。今逃げずに死ぬか、逃げまわって生き延びるか。チャンスが残る・可能性が増えるほうがいい気もするけどなあ。
にしけい