以前にも似たような記事を書きましたが…
参考記事:【根源探求】「吉凶」とは何か?
今回はさらに「吉方位」「凶方位」について根源探求してみます。
一般的には
吉方位=いいことが起こる移動
凶方位=悪いことが起こる移動
といった認識だと思いますが、上記の記事から考察すると
吉方位…向き合ってきた結果が顕在化する移動
凶方位…向き合ってこなかった結果が顕在化する移動
となります。とてもシンプルです。
ジャンル分け=九星・十二支
さて、この向き合ってきたか、向き合ってこなかったかという定義ですが、それをより明確するために開発されたのが気学です。
人間が生きている上で出てくる「テーマ(課題)」を9つのタイプに分類しているのが九星であり、12タイプに分類したものが十二支です。
例えば、一白水星の凶方位で引越しや移動した場合、大まかに分わけて「一白水星が内包している課題」において向き合ってこなかった結果が露呈する、ということです。
一白水星の場合、加熱不十分の食材を食べ下痢を起こしたり、肛門や性器を患ったりします。一白水星の「水」「冷え」といったジャンルのテーマと向きあえていなかった場合、これらが強烈に顕在化します。
一白水星の凶方位の場合「スリに遭う」という象意も出たりしますが、これもきちんと「貴重品の管理をする」という行動を取っていれば現出し得ない象意なのです。
このように気学では「テーマ(課題)」を分類することで「対策を立てやすくする」という効用があります。
気学はシンプルで無情
また、逆に転勤や辞令で「どうしても一白水星の凶方位をとらなければならない」という状況になった場合
「一白水星のテーマと向き合うことを避け続けた結果、もう避けることはできないぐらいところまできていますよ」というシグナルだと受け取ってください。
「向き合っていないこと」つまり「行動できていないこと」が蓄積すると限界点があるようで
その強烈な蓄積を発散させるために「行かざるを得ない」という相として現象が出現してきます。
これが非常に気学の面白いところです。
気学は、いいことも悪いことも全て「自業自得」で、非常にドライで合理的な面をもっています。
「その方位をとっているのは君のせいでしょ?」
無表情で機械的に「移動」という「相」としてシグナルを突きつけてくるようです。
「運命は無情だ」という言葉があるように、相という名の結果においてエモーショルさは皆無なのです。
関連記事:ごめんなさい『(運が)良い手相・悪い手相』というものは存在しないんです。
精神論・自己啓発チックになる必要はない
吉方位は向き合ってきた結果が出る、凶方位は向き合ってこなかった結果が出る。
そんなことを言うと、途端に「やっぱり周りの人たちに感謝の気持ちをもって」とか「利他のこころをもって」といった精神論・自己啓発論に走る人たちがいます。
確かにそれも大事なのかもしれませんが、先述したように
気学は「行動したか・していないか」という二択のみで「吉」と「凶」の蓄積を行なっています。
非常に機械的でシステマチックなのです。
ボタンを押せば電子レンジの加熱がスタートするの同じです。
「AをすればBが起きる」という非常にシンプルで淡々とした世界。何度やっても同じ結果が出るという点で言えば非常に科学的とも言えます。
「日頃の行い」を見直すことは確かに重要かもしれません。しかし、そこに精神論や自己啓発チックな考えは全く必要ありません。「向き合うか向き合わないか」「やるかやらないか」です。
後頭部が痒いと感じ右手で頭をかきむしるタイミングで「かゆみに感謝」とか思いながらカキカキしませんよね?
「感謝の心をもって生きています」と念じていてもカバンに空いている穴をふさがない限り財布を落とします。念じている、精神論のみでは「結果」は全く変わらないのです。
「気合いだ!根性だ!」と叫んでいても、行動しないとお金は得られません。具体的行動や提案に欠ける精神論や自己啓発論を展開するセミナーに参加しても行動しなければ全く意味がありません。
吉方位を取れること自体が向き合った結果
行動しないと「向き合う」は蓄積されません。精神論に傾倒している暇があったら1つでも多く向き合った方がいいです。
何度も言いますが「向き合うこと」というのは「行動すること」です。
フロイトは「意識は人間の生活では5%しか使っておらず、95%以上が無意識だ」と言っています。
精神論は「意識」の世界です。意識を変えても無駄です。行動の95%が無意識に行われています。つまり、無意識を変えるには今のところ行動するしかないのです。
吉方位をとったとしても、この「向き合うことの蓄積」がなければ効果が得られない。ただ、吉方位をとるだけでは意味がない。
と、考える人もいるかもしれません。確かにこれまでに「向き合ってきたもの」が少ない人は出現する事象も少ないかもしれません。
しかし「移動」は「相」です。
移動自体が既に「結果」なのです。
つまり「吉方位」を使えていること自体がすでに「向き合ってきたこと」を証明する結果なのです。
「吉方位を知っていて、使おうとしている人」「吉方位を使う意欲がある人」でも不思議なことに「使えないこと」がよくあります。
逆に「気学?何それ?」と、吉方位の存在すら知らない人がポンポンと吉方位ばかりを使って引っ越ししている場合があります。
使いたいのに使えない、使う気がないのに使っている。
この差が「向き合っているかどうか」なのです。そこに意欲や気持ちは無関係です。
気学はシンプルでシステマチックで無情です。吉方位を使えている時点で、その人なりにそのジャンルのテーマと向き合えているのです。
まとめ
吉方位…向き合ってきた結果が顕在化する移動
凶方位…向き合ってこなかった結果が顕在化する移動
この吉と凶に「意識」「意欲」は無関係で、行動の蓄積が作用します。
行動する方向性をタイプ分類したのが九星や十二支で、空間と時空と行動(意志)の相関を研究しているのが気学です。
にしけい