三次元的物質世界への疑念から見えたエントロピーの極大化

この三次元的物質世界をとことん疑ってみた。

お金から始まり、食べること、肉体を保持すること。

物質に付随するものをとにかく疑ってみた。

大量生産、資本主義、煽り搾取する者たち、煽られる者たち。

それらに依存してしまっている自分たち。

なぜ、肉体を保持する必要があるのか?

生まれてきたからには生きなければいけないのか?

根底を疑った。根底を曖昧な存在にした。

すると、おもしろいほどすぐに体調を崩した。

そりゃそうですよ。

「肉体の存在」を疑っているわけだから、肉体の存在が希薄になるのは当然のこと。

たぶん肉体が半透明になって、誰でも入りやすい状態になっていたのでしょうね。

ウィルスが入ってきて見事にやられました。

頭痛と高熱。思考停止。

「そんな変なこと考えるな」って肉体が主張してきたかのようで、これはこれで貴重な経験。

商業思想にまみれている

でも、一度この物質世界を疑ってみるとまたいろいろ見えてくるものがありました。

テレビやネットのニュース…

誰かのツイート…

インスタグラムやフェイスブックといったSNSの投稿…

とにかくありとあらゆるものが「欲しがり」まみれで

なんかこう、すごく冷めた目で見てしまう自分がいました。

僕も一時期はアフィリエイト(広告収入)なんてやっていないにもかかわらず

なぜかブログのアクセス数を気にして

いかに煽るかを一生懸命夢中に考える…ヤンキーみたいな時期があったように思うと恥ずかしくて掃除箱に閉じ込もりたくなる次第です。

一般的にブロガーと呼ばれる人たち、もしくは自称している人たちもテレビや週刊誌と媒体や対象が異なるだけで、やっていることは同じです。

結局はいかに「煽るか」なのです。

商業思想に浸かりに浸かったドプドプしたブログが氾濫しておりますが

そんな中でも単純に「書きたいことを書く」スタンスをつらぬいている人のブログはやはりおもしろいです。

この人のブログはわざとらしい「演技がかってる」みたいなものだと分かると途端に萎えるのです。

ほんとに普段もそのブログのテンションでしゃべってるの?と思った途端、萎えます。

すぐには変われない

こんなことを書くと

「じゃああなたは経済活動やめたらいいじゃん、紛れもなく商売してるじゃん」

という言葉をいただくことになる。

そう。

今日のようなブログを書くと、経済活動をしている自分に完全にブーメランになるわけです。

たぶん大半の人がこのブーメランが返ってくるのが嫌なので、経済活動を否定できません。

そもそも、スマホ使ってブログ書いてる時点で、完全に商業思想にノリノリです。

あわわ…これは、まずいですぞ…行動と言動が矛盾しまくりです。

今日の記事はここでおしまいにしようかな…

ということもなく。

あの、すぐには「経済活動中止」は難しいです。

なぜなら、依存しちゃってきたからです。

最近いろいろ騒がれている仮想通貨ですが…

「仮想通貨が出てきたら、お金の捉え方が変わる!すごいテクノロジーだ!」

って主張するのはわかるのですが

じゃあ明日からすぐに「1万円札」を見て何も思わないかと言われるとやっぱり「1万円の価値がある」と思っちゃうはずなのです。

「円で考える時点で、仮想通貨の価値を理解していない」という主張も正しいのかもしれませんが

「急に」認識を変えられる人とそうでない人がいて、全体として変化しきるにはそれなりに時間がかかります。

なぜなら、紙幣に依存してきたからです。

今現在、僕は物質世界を疑っていますし

資本主義社会も正解だとは思っていません。

しかし、言動と現実がマッチしてくるのはまだ先のことになります。

僕はこの記事で結局なにが言いたいのかと言うと「当たり前を疑ってほしい」ということなのです。

僕みたいにインフルエンザに2回かかるぐらい肉体保持について疑えとは言いません。

しかし、昨年一回商業思想にドップリ浸かってみて感じたのは「なんかこれって正しいのかなー」という違和感みたいなものがありました。

研究室でフラスコばっかり振ってたころも、円形脱毛症と盲腸を患うぐらい科学漬けの日々を送っていましたが

「科学ってすべてなの?」みたいな違和感がすごく強くありました。

疑うことは疲れます。

なので、僕は初見はあまり疑わず受け入れます。

それでその世界にのめり込んで、病んでしまうぐらいまで浸かってみてから、疑うようにしています。

今回、物質世界を疑ってみて感じたことは

エントロピーがかなり極大まできているのではないかということです。

有象無象で溢れかえっている感じで、名古屋の大須商店街みたいな「なんでもあり」みたいな感じです。ユニバーサルスタジオみたいな感じです。

僕はこのエントロピーが最高地点に到達すると同時に今度はエントロピー縮小の流れができるのではないかと考えております。

今までは「応用」することがゴールだったのですが、今度はいかに「源」に到達できるかがカギになる気がします。

僕はへそ曲がりなのかな。

どうしても逆のことをしたくなります。

でも、それがこの飽和した物質世界の次の世界を乗り切る上で必要だと感じています。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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