なぜ感情は発生するのか。
関連記事:あの、目的・益を追求することに疲れました。これは無意味な記事です。
人間がひとりいなくなったところで、世界は変わりなく回り続けていく。
それぐらい自然や社会はよくできていて、もうすでに完璧に順調にできている。
僕が死んでも、あなたが死んでもみんなの明日はそこまで変わらない。
でも、この完璧すぎる循環(球体)を崩すには感情(無駄)が多少必要で。
完璧すぎる循環をたまに破壊してやらないと、新しいルートが生まれない。
感情は邪魔になるだけの存在で、無い方がうまくいくに決まっている。
それなのに、なぜ感情を生み出したのか。
僕は飽き性なので、同じ思考回路を繰り返すと飽きてしまい、良くも悪くもそれを抜け出そうとする癖があります。
「感情」から逃げられないのは分かった。じゃあなぜ感情を作り出すのか。
それは感情は「点」であり「事件」であり「はじまり」だから。
感情=点=ポン
感情は突然やってくる。
線でつながっていない、理由もないところから突然、ポンと現れる。
通り魔のような、千鳥足の酔っ払いのような、フラフラと不安定で不均一に「感情」はやってくる。
そこに理由なんてないのだろうけれど
理由や意味を付けるとしたら「破壊」のためであり「創造」のためでもある。
突然現れた「ポン」に、僕らは戸惑う。
一目惚れに理由は存在しないように、いきなりの「ポン」に拒否反応が出て苦しむことも。
「ポン」は「発生」であり「事件」であり「閃き」でもある。
ちょうど賢い先人たちが八卦を生み出し、このフェーズに「乾」と名を付けている。非常にありがたい。
「アイツを殺してやりたい」
「あの男にキスをしたい」
「パンを食べたい」
行動を具体化するための設計図みたいなものが「乾」だと思ってる。
この「感情」ばかりはどうしようもなくて。
自分で生み出した感情に襲われるような感覚を抱くことも。感情に支配される状態といえばいいのかな。
ポンを処理する”理由付けフェーズ”
この通り魔をどう処理するか。人間は工夫した。
「そうか、理由を付ければいいのか」
ウンウンと考えてそれらしい理由を付ける。
音楽を聴いたり、映画を観たりするのも理由付けフェーズには非常に効果的。
自分の気持ちに近い言葉や場面を見て「理由の材料っぽいもの」を探せるから、辛いときは好きな音楽聞くのも、好きなマンガを読むのも大いにあり。
「アイツを殺してやりたい」⇒「ウザいから」
「あの男にキスをしたい」⇒「あの男の顔がイケメンでタイプだから」
「パンを食べたい」⇒「最近パンを食べていなかったから」
この理由付けがうまくいかない時期というのも本当に辛くて。
本当は理由なんてないのに、理由を付けようとしてること自体、無意味なんだけどね。
それぐらい「ポン」というのは大きな衝撃であり、感情はすごいエネルギーをもっている。突然だからこそ凄まじい。
具体化完了「発生フェーズ」
突然、入ってきた「他者の情報」に最初は驚き、殺そうとする。
それでも殺しきれなかった一匹を受け入れる。
精子という名の設計図が、着床して赤子の肉体が出来上がる。
「理由」という名の肉体をモリモリと付加していき、具体化させる。
僕らの肉体は「後付け」であり、全ては突然現れる「点」に支配されている。
ざっくりまとめるとこんなイメージ。
創造のために感情がある
感情は理由なきところからポンと突然発生する。
「感情」のことを「事故」「事件」「恋」「閃き」なんて言ったりする。僕はそれらを総称して「ポン」と呼ぶ。
本題である「感情」も「ポン」であり、なぜこの感情は生まれるのか。
理由は「変わる」ためである。
感情は「変わる」ためにある。
違うルートを作り出すための起点作りのために「感情」や「事件」は存在する。
タンパク質の三次元構造やポリマーの架橋反応のように
その物性を変化させるためにあえて「事件」を起こす。
感情は変化・創造のために必要なものだった。
「理由の根っこ」が身動きをとれなくする
先述した「発生フェーズ」は非常にウイルスに似ている。
ウイルスは足のようなもので、人間の細胞にポコっと入り込み根付いて、エネルギーをもらって増える。
この「根付く」というのは「安定」を生む。
突然の不安定要素の出現に人間が生み出した生きる工夫。それが「理由をつけること」なのだけれど。
この理由の根っこに絡み取られて身動きが取れなくなると、これまたどうしようもなくなる。
自分で張った理論の根っこが地を貪るように絡みつき、うんともすんとも言えない膠着状態になってしまう。
ちょっと前の僕はウイルスのように、理由の根っこをグルグルに張り巡らし「安定」はしていたものの「動けない状態」になっていた。
「何でもうまくやろうとするお利口さん」というのは、そういう状態。
本来、自然は移ろうものなのに、理由を張り巡らしすぎて移ろうことができない。
生物は皆、変化するものなのに、変化できない。
非常に不自然な状態。腐らない死体みたいな。ミイラみたいな不自然なもの。
強い「感情」が発生するとき、それは強く「変化」を求めているとき。
理由の根っこが深いと、よりその「感情」は「意外なもの」ではないと、なかなか抜け出せない。
ポンできる人は良くも悪くもヤバい
成功者と呼ばれる人たちは「いかにポンをするか」を考えていたように見える。
逆に世界中で大罪とされる「殺人」なども、ある一種の「ポン」であり
「犯罪」と呼ばれるものはほとんど「ポン」であり、逆に「世紀の大発見」と呼ばれるものも「ポン」なのである。
それぐらい「ポン」はエネルギーが強い。
だからこそ、この「ポン」…つまり「感情」「閃き」を大事にしたい。
ポンを無視して突っ走ると、結果「理由の渦」に巻きこまれて追い込まれてしまう。
ポンと仲良く。うまく付き合いたいものですね。
「理由」なんて探さない方がうまくポンし続けられるのかもしれません。すごく怖いけどね。
にしけい