前々から感じていたことなんですが、ここ最近いろんな方とお話するうちに確信に変わってきたので書こうと思います。
ちょうど手相教室を始めてから2年が経ちました。今月新しく8期生の皆様がメンバーに加わり生徒さんの数は20名以上になりました。本当にありがたい限りです。
「教える側は教わる側よりも学ぶことが多い」といったような言葉がありますが、本当にその通りだと痛感させられる2年間でした。
僕が伝えられることは古典物理学に近い
手相教室を始めて1年目ぐらいから「自分は、手相占いは統計や理論だと言っているが、果たしてそれが全てだろうか」と薄々感じるようになりました。なぜなら、線や形の判断は、非常に感覚によるところが大きいからです。
その感覚はどこからくるかと言えば、経験からだったり、蓄積したデータからだったり、その日の気分だったり、あるいは目に見えない直感のようなものだったりします。
「理論、理論」と理詰めの世界で学生生活を過ごした自分でしたから、今思えば占いのお仕事を始めたころは(今もそうかもしれませんが)強烈な理論信者だったと思います。
しかし、結婚して子どもを授かりたくさんの方々を鑑定させていただき、そして生徒さんに教える中で少しずつ「目に見えない直感」のようなものも重要だと痛感するようになりました。
理論を突き詰めていったはずなのに、どうしても「スピリチュアル」な要素を検証せざるをえなくなってきているのです。
途中までは理論が通用するのに、ポーンと理論が飛ぶ瞬間がある。これはまさに古典物理学のルールをまるで無視する量子力学の世界のような感じです。
「なんでそうなるのか分からないけど、そうなるのよ」と言われ生まれたボーアの量子条件のごとく、これまでのデータや理論を覆すような考えがポンポン出てきたのです。
生徒さんたちは困惑しました。でもこの困惑、僕も師匠から同じような感覚を覚えました。理由を追求していった結果、答えの出し方に規則性や一貫性がないところがあるんですよね。
特に相術は命術ほどシステマチックではないので、非常にそういった「曖昧な要素」を多分に含んでいるのです。それが手相の良さだったり、手相の弱点だったりするのですが…。
電子が波と粒子の性質をもつように
ただ、ポーンと飛んだ先のアイディアでも急に「理論」が生まれるから不思議なんです。これは電子が波と粒子の性質をもち、波の状態で曖昧になったと思ったら違うところで粒子になっているのと同じようなもので、理論と感覚が表裏一体で存在しているのです。
なので、手相本や僕が教室で教えていることはある一定の粒子の法則、古典物理学に近いんだなぁと思います。しかし、だからといって「理論は必要ないか」と言われれば全くそうではなくて、理論と感覚両方必要だということ。
そして、時と場合によってどちらかに傾く柔軟性も必要だということなんです。どちらかに偏り固定されるということは右折しか出来ない自動車と同じで、回り道をさせられたり、場合によっては思考の行き止まりに入り混んだりするかもしれません。
「サラリーマン・結婚・子育て」がもたらす効果
僕は心のどこかで「サラリーマンを続けているからこそ、占いが上達できるのではないか」と思うことがあります。占い師一本で家族を養えていてもなるべく「非現実に近い占いの世界とは相反する世界」に属し続けたいと考えています。
もし仮にサラリーマンのお仕事がクビになっても、スタバでバイトをしたり、どこかで全く別の仕事に就くことが占い師としての技術向上に繋がると考えています。
これは仕事に限ったことではなくて、結婚や子育てといった一見すると占いとは全く無関係な分野でウンウンと悩みながらも物事を解決する経験が占いのお仕事に生きるのではないかと思います。何が正解かは分かりませんが…。
占い師も悩む
こんなことを書いて「占い師のくせに何を言っているんだ、頼りないな」と思われるかもしれません。
本来占い師というものはミステリアスで神秘的で自分の内面をさらけだすなんてもってのほかだと思われる方も多いかもしれません。
しかし、所詮人間です。これでもかというぐらい人間ですし、孤独を感じることもあります。でも一人ぐらい「自分の苦悩を告白する素直な占い師」がいてもいいんじゃないかと思います。
自分の知識や経験がより多くの人々の役に立つにはどうしたらよいのか。教えるって何なのか。僕は手相教室で何を教えるべきなのか。こんなに教わりっぱなしでいいのか。
そんなこと自分で占って答えを出せばいいじゃないって思われるかもしれませんが、こうして悩み考え続けることも修行のひとつなんだと思います。
「何、ひとりだけ悩みを打ち明けて楽になろうとしているんだ」と思われた方は、こちらから鑑定をご依頼ください。お力になれるか分かりませんが僕も一緒に悩ませていただきます。
にしけい