なぜかここ最近、動物やペットに関する話がよく出てきます。その中で「アニマルコミュニケーションって本当にあるんですか?」というご質問があったので、ちょっと調べてみました。アニマルコミュニケーターに依頼された方から、オンラインで対話した犬に「無駄吠えするのをやめて」と頼むと翌日から吠えなくなった…というお話も伺いましたが、何かしら対話する方法もあるのかもしれません。もしそれが本当に出来るなら、近年増えている熊被害も抑えられるかもしれない…盲導犬の育成なども簡単になるかもしれない…妄想していたのですが、実際のところどうなのでしょうか?できないこともあるのでしょうか?
とりあえず、ローレン・マッコールさんの本をはじめ数冊ほど書籍を読んでみましたが、僕自身が体験していないことなので、ちょっとよくわかりません。とはいえ、過去にクンダリーニを体験したり、催眠術をかけたり、最初は疑っていたけれど、実際にやってみると「本当にあったな」と思えることがあったので、もしかすると、アニマルコミュニケーションもあるのかもしれません。「科学的ではない」と否定することは簡単なのですが、それはそれで無責任だなと思うので、「アニマルコミュニケーションって本当にあるんですか?」という質問に対しては「あるかもしれないし、ないかもしれない」という態度です。
僕が読んだ限りで具体的な方法を抽象化させると、「集中→一体化→再構築→コミュニケーション(自由な世界)→現実世界へ」という感じなので、クンダリーニや催眠術とプロセスは似ているように見えます。過去にアカシックレコードにアクセスしたと言っていたおじさんの話を思い出したのですが、それと割と同じ流れだなと思いました。おそらく「一体化」の部分で、「どのような世界と一体化するか」がカギなんだろうなと思いました。
久しぶりに誰かに指導してもらいながら瞑想をしたかったので、最近、普通 のヨガ教室にもいくつか行ってみたのですが、分化意識(差別意識/闘争心/差別化意識)が強い人たちが多いなと感じました。せっかく体操や呼吸法で集中して無心化するプロセスを踏んでいるのに、一体化しないんですね。なので、すごく攻撃的な雰囲気が漂っていて怖いなと思いました。宗教に傾倒しすぎた不気味な穏やかさもちょっと怖いのですが、それとはまた違った怖さがありました。本来の目的が見失われて形骸化している気がしました。まぁ普通に考えて先生が「全体と一体化するためにやります」とか言い出したら怖いでしょうし、しょうがないところはありますが…。
一体化のための導入方法(瞑想や場)には相性のようなものがあると思いますが、一体化するためのブレーキ(枠)を外せるかがカギなのだと思います。何年もアニマルコミュニケーション講座のようなものに通っていてもなかなか出来ない人がいるというお話もお伺いしましたが、この「自分」という枠をなくすところが苦手なのかもしれません。このアニマルコミュニケーションのやり方を、動物ではなく人間に使うことが出来れば便利だなと思いました。話すことができない状況に陥っている人が何を求めているのか、何を望んでいるのかを聞く事ができれば、それはそれで需要がある気がします。
飼っていたヤマトヌマエビたちが暑さで全滅したので、話し相手となる動物がいないのですが、動物を見つけたら積極的にコミュニケーションをとってみようと思います。なんとなく、勝手にできる気がしています。
にしけい