「私は最強」という曲があります。「大丈夫よ 私は最強」という力強いサビの部分が印象的で、非常に前向きな雰囲気漂う曲調なのですが、その根底には孤独や不安や弱さみたいなものがあります。この曲の歌詞は「自分の弱さ」みたいなものがあって、それを乗り越えるためにあえて「自分は最強だから大丈夫」と言語化・再定義することで、現状を保持しているように見えます。不確定要素やイレギュラーに対する言語化による範囲の限定です。
「最強」という語彙の反復使用は内部システムの脆弱性補完が目的といえます。この現象は人間の認知バイアスの典型例で、実際の能力や状況とは無関係に、言語による自己定義を繰り返すことで、不安定な精神状態を一時的に安定化させるために発生します。その効用が一時的だったとしても、個体の生存確率を向上させる可能性があり、非効率に見えて効率的だからこそ現代にも残っている生存手法なわけです。
言語による脆弱性の補完(範囲の限定)は、修復可能な条件で試行されることが多いです。完全に修復不能だと個体が判断した場合は、言語による範囲の限定は有効性を示しません。また、過去に同手法による成功体験がある場合は、この手法に依存しやすい傾向があります。ただし、言語による現実の再構築は持続性に欠けます。外部からの否定的データ(範囲の拡大)が入力されれば、容易に崩壊する場合もあります。
「自分は特別」「他は偽物」「自分は素晴らしい」といった自己称賛や排他的行為(意識的な分化)の強度が高まるほど、頻度が多くなればなるほど、自己の脆弱性や不安定さが高まっていると認識している可能性が高いです。一種の防衛的な生存戦略ではあるものの、多用するような状況が続く場合はそろそろ現実を直視する必要があるかもしれません。
境界線・切替としての見出し
「私は最強」と言わなければいけないぐらい不安定で孤独を抱えている人に対して、こうやってストレートに事実や現実を突きつけてさらに分断・孤立させることは簡単なのですが、それはそれで適切な行為ではないんですね。
僕は「私は最強」を聞くと、「助けて欲しい」と聞こえるんですね。それで、この「助ける」というのは、「あなたはすごい!」と言語による再定義を強める「分断」ではなく、「統合」や「同化」の方向になるんですね。愛の本質って同化なのではないかと考えていて。この曲では「同化しようとする」という状態なのですが、それはまだ分断が起きているんですね。なので、本当の愛は自然で無理のない同化だと思うんです。対話をしたり、抱擁したり、ただ一緒にいたり、何かを共有したりすることです。「みんなと同じような感じ」が目的なので、チヤホヤしたり、励ましたりしなくていいんです。あんまり特別なことをしなくてもよかったりします。
「助けて欲しい」「一時的にでも頑張れる何かが欲しい」という状態の人に対して、上記のように「それは一時的なことです」「それは幻想です」と事実を突きつけることも時には必要なのかもしれませんが、本当に求めていることは共有や同化だと考えていて、時間をかけてコミュニケーションを取ることで解決・満たされていくと思います。
時間をかけてコミュニケーションをとったり、じっくり考えることをせずに、「すぐに結果や答えが欲しい」という人が、「私は最強」のような状態に陥りやすいので、何も考えずに、アテやオチもなくおしゃべりする時間も大事ということです。強がっている・すごそうに見せている人がいたら、「なんだあいつは」と切り捨てずに、お茶にでも誘ってあげてください。
にしけい