今日は「玄関の機能」の1つをご紹介します。
例えば、デパートや大型ショッピングモールには複数の「入口」があります。入る場所によって、見えてくる景色や印象がちがいます。入ったところすぐにクリーニング店がある入口もあれば、入ると高級ブティックが立ち並ぶ入口もあります。美味しい焼きたてのパンが香る入口もあれば、真っ暗で誰も人がいない入口もあります。
入る場所によって、その建物の印象が異なりますし、下手するとその建物の中で全く知らずに通い続けているお店もあったりして、普段と違う入り口から入ってみると、「こんなお店あったんだ」となることもあります。
入り口は特定の範囲内に入るときに必ず通る場所です。入り口が複数あった場合でも、どれかを必ず通って中に入ることになります。例えば、マイナス20度で必ずホッキョクグマとペンギンがお出迎えしてくれる入口があって、その入口ばかりを利用していたら、その建物を「寒い場所」というイメージで固定されるかもしれません。夏にはひんやりしていていいですが、冬場はあんまり行きたくない場所かもしれません。もし、ホッキョクグマたちがいる玄関を過ぎて30メートル先には「灼熱の砂漠ゾーン」があったとしても、人によってはそれを知らずに「あそこは寒いよね」というイメージだけで固定されてしまう可能性があります。
これは、冒頭のデパートや大型ショッピングモールが良い例です。隅々までお店の中を散策したり、フロアガイドをじっくり眺めたりしない場合は、足を運ぶお店が定番化して固定されてくるかもしれません。何度も言いますが、「入口」というのは、特定の範囲内に入るために必ず通過する場所です。
家の入口である「玄関」もその家のイメージを決める場所になります。例えば、雑多な玄関で帰宅した瞬間「なんか落ち着かなくて疲れる」と思うのであれば、「家=落ち着かない」というイメージが固定されるかもしれませんし、帰宅したときに明るくて受け入れてもらえるような雰囲気があれば、「家=落ち着く場所」というイメージが固定されやすくなるかもしれません。
友人が知人が遊びに訪問したときも、玄関から入ってきます。玄関に怖い顔をしたブルドックの置物が置いてあったら、「ブルドックの家」というイメージの固定が起きるかもしれません。部下や後輩から陰で「ブルドック先輩」と呼ばれるようになるかもしれません。何がイメージの固定につながるかわかりませんが、入口や玄関は何度も通過する場所なので、確率は上がります。
よく新書のビジネス本で、「営業マンは顔が9割」といったような大胆でキャッチーなタイトルがありますが、本の表紙なども印象に残りやすいですよね。書棚で本を探すときは背表紙や表紙の色やイメージをなんとなく思い出しながら探しますし、中身を全部読んでいなくても表紙だけは覚えている…という本もあると思います。
「入口」とか「入り方」ってけっこう大事で、例えば僕は「ヨガ=某宗教団体」というイメージが強く、ヨガの導入がそれだったので、他でヨガを習うと驚きます。「全然瞑想の時間がない…」「クンダリーニの覚醒を目的にしないんだ…」「太陽礼拝ばっかりでシャバアーサナとクンパカをもっと増やしたほうがいいんじゃないか…」と思ってしまったりしまいます。多くの人たちからすると、おそらくちゃんと体操をしたり、猫のポーズをするほうが「普通のヨガのイメージ」だと思いますが、ヨガという世界に入る際にかなり端っこ(少数寄り)から入ってしまったがゆえにイメージの払拭に時間がかかりました(何回か通って無事他の人たちが知っているヨガと合流できました)。
なので、「入口」とか「玄関」というのは「入ったときのイメージ」を形成する場所なので、その空間をどうするか、動線をどうするか…といったことを考えるのは、他者に「どんな第一印象を与えるか」ということを考えることとほぼ同義と言えるかもしれません。
「玄関の靴を並べる」という行為は、他者に丁寧できちんとしている印象を与えることにつながりますし、意識するだけでも相手の反応が変わってきます。小さなことかもしれませんが、あなたの家の入口が変わると、あなたの社会的な振る舞いに少しずつ変わってくるはずです。いろいろ試してみて、まずは自分にとって「心地の良い入口」を模索してみてくださいね。
にしけい