理論武装をしたり、強固な動機を作ったりして、セルフイメージを固める。壁を分厚くする。この戦略って確かに攻撃と守りが同時にできるから効率がいいんですね。この場合の「攻撃」というのは、「自分はこのままでいいんだ」と錯覚して前に突き進める原動力になったり、誰かに対して自分の意見を主張するときに、強力な武器になるんですね。
でも、なんでセルフイメージをガッチガチに固めて、境界線を分厚くするかというと、その境界線の内側がカニ味噌みたいにトロットロで情けないぐらい脆いからなんですよね。感情的で、幼稚で、情けないぐらい非論理的で、そういう「弱み」みたいなものを隠して、攻撃されないようにしたいわけですよね。
境界線を明確にして、壁を分厚くして、特定の範囲にセルフイメージを固めようとする戦略って、けっこうクセになりやすくて、それなりにうまくいっちゃうんですよね。だから、自分はその戦略で生きようとして、より壁が分厚くなっていく。RPGとかでバトルのコマンドが「たたかう」しかないような状態で、他の「魔法」とか「アイテム」のコマンドがない戦略なんですよ。自分で選択肢を制限しているから、ジリ貧になっていくんですよね。1つに絞るって、確かに効率はいいんですけど、柔軟性に欠けるし発展しないんですよね。
この戦略を取る人の傾向として、甘えるのが下手で、相手に弱みを見せないようにする傾向があるんですけど、結局のところ中身のトロッとしたところが残ったままだから、ずっと自信がないような状態が続くんですね。なのに、その戦略で中途半端に成功体験(無難にやりすごせた経験)があるから、同じ戦略で通用するだろうと信じ込んでしまうんですね。
「自分は今までこのカチカチに動機や理論を武装してうまくいってきたんだ、だからこれからもこの戦略で生きていくんだ、他の戦略は知らないし模索するに値しない」という感じで、頑固さに磨きがかかっていくんですね。それって効率はいいんですけど、僕からすると楽してるようにしか見えないんですよね。めんどくさがりというか。そんなことを言うと、このタイプの人は激昂して、「お前は何も考えずのうのうと生きてこれて、苦労を知らないからそんなことを言えるんだ。お前のほうが楽に生きてるだろ」みたいなことを言うんですね。笑
でも、違うんすよ。本当は「弱みを見せること」「誰かに甘えてみること」も含めて、いろんな選択肢を模索するほうが大変なんですよ。いろんな選択肢や可能性を模索するのって、うまくいかないこともいっぱいあるし、傷つくこともいっぱいあります。「こういう考えもありかもしれない」と考えるためにも、いろんな考え方に触れてボコボコに自分の固定観念を壊す必要があるんです。泣いて、鼻水を垂らして、しょぼくれて、自分の何がいけなかったんだろうって振り返って、セルフイメージをボコボコに壊して初めて、「あ、こういう生き方でもいいかも」と、ようやく新しい選択肢が増えるんです。
そりゃ誰だって傷つきたくないですよ。いやですよ。今までの自分でいいって肯定してもらえたら楽ですよ。自分のイメージを壊すのってすごくしんどいですよ。だから、セルフイメージを固めて、選択肢を減らす戦略って楽なんですよ。変わらなくていいんですから。変えなくていいんですから。それでうまくいっているうちはいいですよ。でも、何度も言うように、選択肢や可能性が減っていくんです。自分で減らしているからです。だから、だんだんジリ貧になっていくんです。
もし、これを読んでいるあなたが、「◯◯であるべきだ」とか「◯◯をしたほうがいい」とか「◯◯をしなければいけない」とか「◯◯のほうが正しい」という考えを強くもっているのであれば、それは選択肢を減らす方向に向かっている可能性が高いです。理論武装して、動機や使命みたいなもので自分を縛って、選択肢を減らそうとしてるわけです。防衛本能が過剰に働いているんでしょうけれども、それが自分の選択肢や可能性を減らしているんですね。
じゃあ、何をすればいいかって?今までこうやって生きてきた自分はどうすればいいかって?それこそが「正解」を求めているわけですよ。ピンポイントで特定の範囲の行動を狙っているわけですよ。なので、強いていうなら、正しいと思っていないことでもしてみたらいいんじゃないですかね?ありえないと思うことをやってみたらいんじゃないですかね?枠や殻を飛び出すほうが怖いし、嫌だし、大変だと思います。でも、少しだけ自由になれます。選択肢が増えて、「細かいことはどうでもいいかな」って思えるようになるはずです。
にしけい