ここ半年ぐらいの個人的研究テーマのひとつに「90度」というものがあります。直角です。よく「角が立つ」と言ったりしますが、美しい完璧な90度が形成されると、日本語の意味のような「角が立つ」ということは起こらなくなります。図象・視覚情報としての90度ではなく、これを現実世界で用いて活用しようという試みが僕のテーマです。
しかし、この90度を実践するときに少しでも「意識」が入ると90度ではなくなります。一種の通り魔的な無差別さ、命題を無視することで美しい90度が形成されます。沢天夬という卦がありますが、まさにこれも美しい90度を表現しています。矛盾を解決するには、矛盾を発生させている二項対立を嘲笑うかのように無視する無意識から生まれた方向性が必要になります。
美しい90度が生まれるとジンテーゼが成立します。美しい90度が形成できると、全く角が立たず、調和や融合が生まれます。これは間違いないです。90度を活用するためには、自我のようなものが不要になります。しかし、自我を消すためにも自我を最大限にする必要があります。ピタッと美しい90度を形成するためには、線を引くための物差しをきっちりと当てる必要があるように、自己矛盾や対立を明確にする作業も時には必要なのです。
これをポエムや詩だと思う人もいるかもしれませんが、それを一度強く思い込み、他の考えを否定することが、まず美しい90度を形成するための第一歩です。中途半端に理解したふりも、なんとなく迎合するのもダメなんですね。物差しがぶれてしまうので、真っ直ぐ線を引くことができないんですね。すごく大っ嫌いになったほうがいいんですね。
話は変わりますけど、昨日寝違えたのか、右肩を上ていないと痛いんですね。今も右肩を上げながら書いていますが、なんかこう右肩上がりになるのから縁起がいいなって。「痛い⇔どうにかしたい」という軸がある以上、痛みは消えないんですね。90度はこの軸自体を無視する力なんです。すごく勝手で無責任な方向性です。
にしけい