「なんで占うときに生年月日を使わないんですか?」

 

よく「なんで占うときに生年月日を使わないんですか?」というご質問を頂くので、現段階の僕なりの考えを述べておこうと思います。

生年月日を用いた占いというのは種々ありますが、よく指摘されるのが「双子はどうなるんだ?」というお話です。

しかし、この質問自体僕はけっこうナンセンスだと考えていまして…

 

1日に2000人産まれる

 

日本で1日に生まれる赤ちゃんの数は2000人ぐらいで、世界では20万人ぐらいになるそうです。

令和3年のデータだと、日本の年間出生数は81万人なので、1日におよそ2200人、1時間に84人産まれている計算になります。

誕生日・誕生時間・誕生場所…といった具合に精度は占術や占い師によって様々なのですが、誕生日を使った占いは「生まれたタイミングが同じor近似していれば性質や運気も同じor近似する」という前提があります。

この前提通りに考えると、どこまで近似として認めるかによりますが、80~2000人は同じような傾向をもつということになります。

妻の出産に立ち会うためバースセンター(産婦人科)に通っていた時期がありますが、常に助産師さんがバタバタして次から次へと子供たちが生まれてくる状況を見ていると、「同じようなタイミング・場所」で生まれる子はけっこういるんだなと実感しました。

 

同級生で同じ誕生日の人が見つかる確率

 

次に同級生についてです。

計算方法などは各自で検索して頂きたいのですが、40人のクラスで同じ誕生日の人が見つかる確率は9割ぐらいになります。「そんなに高いの?」と思われるかもしれませんが、僕も遭遇する頻度が高いことに気づき、調べて計算してみたら、意外と高いことが分かりました。

同級生なので、生まれた年も同じです。住んでいる地域も近い場合が多いです。

では、同じor近いタイミングで生まれた子たちは「同じような性質・人生」になるのでしょうか?

この疑問に対して占いについての知識がない人たちからは「親が違うんだからそうなるわけないじゃん」「生まれた環境が違うんだから運命も違うでしょ」といった答えが返ってくる可能性が高いのですが、その通りだと思います。

バースセンターで見ていても感じたことですが、双子以外にも「同じor近いタイミングで生まれている子」はそこそこの確率でいます。そして、その子たちが同じor似たような性質・運命かと言われると、そうではありませんよね。

幼少期は身近な大人である親や家族の影響を受けやすいですし、遺伝子的には同じホモサピエンスでも親が違えば子供も性質は異なってきて当然です。

そうなってくると「生まれたタイミング(場所)が同じor近似していれば性質や運気も同じor近似する」という前提は本当に成立するのでしょうか?

本当に生まれたタイミングのみで、その人を判断・鑑定してもよいのでしょうか?断じて、定めてもよいのでしょうか?

 

やればやるほど

 

占いのお仕事をしていると、いろんな場所で占わせて頂くわけですが…

学園祭や同窓会といった場だと、上述したように生年月日を使った占いだと「同じこと」しか言えなくなる場面がありました。

類は友を呼ぶなのか、学校関係以外でも同年代の人たちが集まったり、生年月日が近いor同じという人が同じ場に集まったりする場面もあります。

当然のことですが、占いを続ければ続けるほど、同じor生年月日の人に出会う確率が高くなります。自然と、同じ命式・命盤(生年月日から出すシンボル)だけれど、全く違う性質や運命になっている人に出くわす機会が増えてくるわけです。

増えてきたからこそ、生年月日を使う占いの矛盾点に気づき、このような記事を書いているのです。

「同じor近い生年月日だと、同じor近い性質・運命になる」という前提(縛り)に従って占おうとすると、辻褄を合わせたり、現実を歪ませる必要があります。それは不自然な状態と言えます。自分の中で本当に納得していないことを相手に伝えるわけですから、それは嘘をついていることにもなります。

こういった自分で生み出したルールや矛盾(縛り)にとらわれて、辻褄を合わせようとしたり、占いの場面で冷や汗をかいたり、言い訳を考えたりする人もいますが、それで本当にいいのでしょうか?何か前提が違っているのではないでしょうか?本当にそれで続けていけるのでしょうか?

他の方は知りませんが、僕は自分が間違っていると思うもの、何かおかしいなと思うものを誰かに推奨することはできません。僕は今も「生年月日には何かあるのではないか」と思い、生年月日は集めています。しかし、集めれば集めるほど疑問点が増えていきますし、実際にそれを現場で使うかというと、最近は全く使いません。

 

辻褄を合わせようとする背景

 

何度も言いますが、やればやるほど「矛盾」に遭遇する確率が高くなりますし、一生懸命辻褄を合わせようとしているのであれば、それは何か前提が違う可能性が高いです。

何を信じるかは自由ですし、人は信じたいものを信じているので、本当に人それぞれなのですが、まず「生年月日を使った占い」(前提)を信じたくなる『現状』を鑑みたほうがいいかもしれません。

何かの前提を信じようとしているということは、信じられていないことがあるわけです。この場合の信じられていないものは、おそらく大半が「自分自身」だと思います。つまり「自信」です。

自信がないということは「何か正解とする理想の状況」があって、それに達していないから「自分はだめだ」と判断しているわけです。他者と比較することでもこれはよく起きます。

「正解」や「理想の自分」といったものは妄想で、勝手なイメージです。実際の自分とは違うわけです。このような「実際の自分とはズレたもの」を追いかけているので、「実際の自分とはズレたもの」を信じたくなるのかもしれません。

「本当の自分は違う」「こんなはずじゃない」「もっと自分は◯◯だ」といった(前提)があって、理想と現実の補正ツールのひとつが生年月日を使った占いなのかもしれません。

だって「生まれたタイミングが同じでも、親や生まれた環境が違ったら子(結果)も違いますよね?」って聞かれたら、多くの人が「そうですね」って答えるはずですよ。素直に考えてみてください。「個体差」「個人差」ってどうみてもあるわけですよ。それは生年月日やシンボルを見なくても、走ったり、テストをしたり、人前に出てしゃべらせてみたら、違いは明らかになるじゃないですか。

実際になにかを試してみた方が早いし確実だと思うんですよ。服でも試着してみたらすぐに「あ、似合わないな」って気づくじゃないですか。あれと同じです。

「分類されたい」というのは所属意識が強くなると起きる感情かもしれません。となると、本当は誰かと一緒にいたいとか、何か寂しさを感じているのかもしれませんし、他のグループに対しての対抗心や村意識が強い…といった性質もあるわけです。

自分は「線引きすることで楽に生きられる性質をもっている」というメタ的な観察のほうが、情報としては活用しやすい気がするんですけどね…。

「実際の自分とはズレたもの」を追いかけることが決して悪いことではないと思うんですよ。「理想の自分」というものを強く抱いて、それに向かって邁進していける場合もありますし、イメージが動力源になる場合もあります。しかし、思い込もうとする気持ちが強くなればなるほど、現実と理想のあいだに違い大きくなるわけですから、薬のように使い方次第という感じです。

というわけで長くなりましたが、「なんで占うときに生年月日を使わないんですか?」という問いに対しての最大の理由は、お客様にも自分にも嘘をつきたくないからだと思います。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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