周易講座2期目やってみて、改めて僕自身周易の勉強をさせてもらっていますけど、結論から言うと「断易」と「梅花心易」をやる人は周易を学んだほうがいいっすよ。
でも普通にやると眠くなるので、抽象度上げて学ぶのと、そこからどんな具象例が生まれるか、つまり実践を積みながらやったほうが圧倒的に面白いと思います。
メルマガ限定でにしけいの夜寝る前に聞くラジオというものを配信していますが、vol.2の内容はこの記事の内容に直結する内容なので、リンク貼っておきます。
毎回さらっと大事なことを言ったり、書いたりしてるんですけど、なんか毎回「そこじゃない」ところをありがたがる人が多いというか。「それっぽい部分(枝葉末節)」に飛びついて喜ぶ人が多いんですけど、この記事もタイトルに一番大事だと思うことを書いています。今はわからなくても何年後にわかるかもしれないという願いを込めて書いておきます。
なんで周易をやったほうがいいかというと、上のラジオでもお話しているように「レンズの倍率」が違うんですね。占うテーマが毎回同じだったり、同じ人を同じ条件で占っているなら1つでいいかもしれませんけど、現実はそんなことばかりではないのでレンズの種類が多い方がいいんですね。
どうしても「複雑な術のほうが精度が高い」とか「習得が困難なほうが高尚なことをやっている」と思う人がいますけど、正直そこはどうでもいいんですね。それよりも大事なことは「最適なレンズ選び」をするための選球眼みたいなものだったりします。
[参考記事] 自分1人だけの力で解決できることってタカが知れてるんですね
上の記事でも書いてますけど、目的は「何かしらの問題に対処すること」であって、自分の知識や能力をひけらかす場ではないんですね。もちろんひけらかした結果対処できるならそれはそれで正解かもしれませんけど、対処できるなら過程(ツール)は何でもよくて、選択肢は多いに越したことはありません。
で、けっこう易に関しては断易・梅花心易だけだとカギが開かない場合がけっこうあって。その答えが周易にあったりします。「なーんだ、これ周易の爻辞そのままじゃん」みたいな。気学の方位作用も「方位」とか「九星」だけで解決しようとするから矛盾点を無理やり押し込めようと変なこじつけルールが生まれるんですけど、家相とか墓相とか他のツールを使うとけっこう簡単にカギが開くことがよくあります。
で、こういう「なんで?」という矛盾点って実践してみないと出てこないですし、実践は実践でも条件をいろいろ変えないと出てこないんですね。同じような条件で占いをやってると少しずつ慣れてきちゃって、楽といえば楽なんですけど、「なんで?」が生まれてこないんですね。
なので「なんで?」と思ったら、別のレンズ(観点)を使って観察する必要があって、「断易があれば最強だ!」とか「梅花心易で十分」とか言ってると、そのときは楽しいし気分は一時的に高揚するかもしれませんけど、しっくりこないのに無理やり当てはめようとすると「ゆがみ」ができちゃうんですね。
偉そうなこと言ってるかもしれませんけど、僕自身うまくいかないこともいっぱいあります。でも「うまくいかないこと」からのほうが学ぶこと(得るもの)は多いので、うまくいかないことに直面するにはどんどん新しいことに挑戦していかないといけないなと思います。
話がそれてしまいましたが、周易だけでもダメですけど、断易ユーザー、梅花心易ユーザーはそれだけになりがちなので、いちおう周易という3つ目の選択肢を提案しておきました。使えるツールは柔軟に何でも使っていきましょう。
にしけい