[トルコ旅行記13] カッパドキアのグリーンツアー1(地下都市デリンクユ)

カッパドキアに到着してランチを食べた後、せっかくなので観光ツアーに参加しようと何件か旅行会社やタクシー会社をまわりました。

いかんせん1人で催行してくれるツアーがなかなかなく、南米やモロッコに行ったときはたまたま現地で知り合った日本人と一緒にツアーに参加したり、他の国からの外国人旅行客に声をかけて相乗りできたりしたのですが…

日本人はおろか観光客すらほとんど街にいない状況ではなかなかツアー催行してもらえず、できたとしても割高になってしまいます。しかし、そうは言っても車がないと何もできない街なので、1人催行OKでお値段も少し安いタクシー会社が見つかりました。

カッパドキアには「レッドツアー」「ブルーツアー」「グリーンツアー」という3つのコースがあり、レッドツアーが一番お手頃で、検索してもヒット数が多いメジャーなツアーです。

しかし、どうしても「地下都市デリンクユ」が見てみたかったので「グリーンツアー」を選びました。

グリーンツアーは、地下都市デリンクユ以外にも、ウフララ渓谷を2時間かけてウォーキングしたり、山のようにそびえ立つピジョンバレーをトレッキングしたり…という非常に修行色の強いツアーで、一番マイナーで観光客には人気のないツアーです。(ガイドさんはそのような紹介をしていました)

朝9時に出発して帰りが夕方4時か5時になるハードなツアーなのですが、僕がツアー会社にたどりついたのは13時すぎていたので、ここからフルコースでまわると夜になってしまいます。

あと僕自身、前日にアホみたいにイスタンブールを歩き回っているので、正直ウォーキングとかトレッキングはいいかなと思ったので「ウフララ渓谷」と「ピジョンバレー」はさらっと見学するだけでいいです、とお伝えしました。

1人でツアーを組むと割高で800リラ(約10000円)でしたが、1人なので他の観光客に合わせなくてもよくて、自分の好きなように旅程を組めるので、非常に気楽でした。

グリーンツアーのメインどころでもある体力勝負の旅程を一切省略してまわるので、グリーンツアーというよりも「薄グリーンツアー」といったところでしょう。

地下都市デリンクユ

モロッコで「迷宮都市フェズ」に行くと決めたときもそうなのですが、僕は中二病なのでどうも「魔界都市」とか「空中都市」といった「○○都市」という四字熟語に弱いようです。

デリンクユの写真撮影記念スポットで一人で写るにしけい

地下都市デリンクユは、いつ誰が何の目的で作り出したものなのかはっきりとわかっていません。

3500年ほどまえにヒッタイト人が作ったという説、2800年ほどまえにフリギア人が作ったという説、ペルシア人が作ったという説…などがありますが、考古学者たちの間でも見解が分かれているそうです。

このあたりは岩山を削って住居できるぐらい石がやわらかい…とのことですが、やっぱり石は石です。実際壁面をさわってみても「やわらかい」とは到底思えません。

鉄や錫や銅を鋳造して作られた道具で掘削したそうですが、わかっているだけでも紀元前約5000年ごろから中東あたりでは鋳造技術が発達していたと言われていますから、もしかするともっと以前に掘られているのかもしれません。

うんちくはこのぐらいにして、さっそく入っていきましょう…

 

観光地化しているとは言え、冒険感が漂います…!!

洞窟へ入っていく階段

 

中はライトアップされてはいますが、通路がめちゃくちゃ狭いです…

写真では伝わりにくいかもしれませんが、身長170cm弱の僕でさえ、頭を低く下げながらではないと通れない狭さです。

かがまないと通れない通路

 

階段は狭すぎてすれ違うことなんか到底できません。

声をかけあったり、何か光で合図し合いながらすれ違っていたのでしょうか。

すれ違えないぐらい狭すぎる階段

もしかすると、階段で鉢合わせたとき、どっちが先に通るかを決めるために「じゃんけん」が考案されたのかもしれません。薄暗いのでちょっとぐらい後出ししてもバレなさそうです。じゃんけんが弱い人はなかなか目的地にたどり着けないため、読心術のような技術を磨いた人もいたかもしれません。

ガイドのお兄さんに「赤矢印は下り、青矢印は上りだよ」と教えてもらったのですが、途中で矢印の表示がなくなり早い段階で迷子になりました。

迷っても安定のいつもにしけいの表情です
迷っても安定のいつもにしけいの表情です

 

少し開けたところに出ました…分岐ルートがありました。ここでも迷います。

 

ある部屋に入るとおもむろに「壺」が出てきました。どうやら食料庫だったそうです。

あまりにも露骨に食料庫感を出しているので、思わずちょっと笑ってしまいました。ここだけ作り物感があってちょっとツボでした。

あとで付け足された吊り橋のようなものもありました。

この日はまだ人が少なくてよかったのですが、観光客がもっとたくさんいる時期だったらサンダルは危なかったかもしれません。

 

突然天井に穴があいている部屋が見つかりました。どうやら地上までつながっている穴のようです。

洞窟内の空調としても使われていたようですが、川から水をひくために作られた穴もあるようで、僕がここで暮らす小学生だったら、この穴からマシュマロを落として口でキャッチする遊びを提案していたと思います。

こんな場所に何万人もの人々が住んでいて、煮炊きをしたり、家畜を飼育していたそうですから、空調用の穴はもっともっと縦横無尽に張り巡らしてありそうです。

四つん這いにならないと入れない、非常に小さな穴がありました。

ライトで照らしても先が見えないぐらい真っ暗でしたが、こんな穴を見つけたら入ってみたくなるのが人の性(さが)です。

何があるのかわからない…でも入ってみなきゃわからない…まさに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」です。

僕が謎の穴に入っている途中に後ろから中国人カップルのような人たちが近づいてくる声がしました。

結局先端まで行ってみても穴が狭くなっていき、行き止まりになってしまいました。僕は思わず「Nothing!」と叫びました。

四つん這いになりながら、バックで穴から出てきました。文字にすると卑猥ですが、文字通り四つん這いになりながら、バックで穴から出てきました。

中国人カップルの男性が穴を指差しながら、何か言っていたので「Nothing!No!No!」と何もないことを伝えたつもりだったのですが、男性は僕の情報を無視して四つん這いで穴の中をスマホで照らしながら進みました。

しばらくすると、穴の中から「何モナイヤー!」みたいなことを彼女に言っているであろう中国語が聞こえてきました。ほら、言ったじゃん。ちゃんと穴先輩のアドバイスを聞いてよね。

でも、こんな穴を見ると「何もない」とわかっていたとしてもどうしても入ってしまいたくなる。彼と僕は同じ穴のムジナだったというわけです。

 

ここは死んだ人を安置しておくお墓だったようです。

この狭くて暗くて冷たくて息苦しい穴の中で、普通に人々が生活を営んでいた…とは到底信じられませんでした。

僕は40分ぐらい穴の中にいたのですが、閉塞感と狭苦しさに心が参ってしまいました…

それでもこんなところで生活しなければならなかった…と考えると、この穴が作られた当時は地上ではもっと暮らしにくい過酷な状況だったのかもしれません。

見つかっているだけでも地下8階まであるそうなので、相当「引きこもらなきゃ!」という切羽詰まった状況ではない限りこんな穴を掘ろうと思えません。

もちろんですが、洞窟内ではスマホの電波は圏外でしたから、ネットも使えないし、光も当たらない…という環境では、現代人にしけいは頭がおかしくなりそうでした。それとも住めば都で、それなりに順応できるようになるものなのでしょうか。非常に興味深い体験でした。

地上に出て万歳をするにしけい
脱出して「地上」のありがたみを噛み締めました…

 

つづく!

にしけい

[トルコ旅行記14] カッパドキアのグリーンツアー2(ウフララ渓谷とピジョンバレー)

 

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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