いろいろと思い出深い「マザー2」
何度も何度もクリアしているのに「テレポートα」が自分で十字キーで動かせると知ったのは、20歳過ぎてプレイしたときだった。
壁にぶつからないように、わざわざ長く直線距離が取れるところまで移動して使っていた自分としては目からウロコ。
プレイする年齢に応じてなのか、何度やっても新しい発見があるバイブル的な不思議なゲーム。子どもが生まれた今プレイしたら、どんなことを考えるんだろう…。
高校時代付き合っていた彼女に貸して、ニックネームの付け方でちょっとケンカしたり…今思うとダサいけど、なんだか微笑ましい甘酸っぱい思い出もあったり。
ゲームの思い出を語る上で「誰と」っていうファクターは大きいと思うんです。
ゲームのストーリーとかキャラクターも確かに大事なんだけど、そのとき一緒にプレイした人とか、そのゲームについてよく話した人とか…「誰と」って結構重要で、記憶をたどる上で強いインデックスになっていたりする。
「誰と」という点では、このゲームほど「誰か」とやったゲームはない…
スーパーボンバーマンシリーズ
初めてこのゲームをやったのは、1歳年上のシュンちゃんという男の子の家だった。
シュンちゃんは僕が住む団地の近所の男の子で、たくさんのファミカセをもっていた。
ボンバーマン2のバトルモードは他の作品に比べて「シンプルに実力が試される」といった印象。
ノリノリのハイテンションなBGMが闘争心と最高のスリルを掻き立てる。あの曲は今聞いてもテンションが上がる。
「スーパーボンバーマン1」の「パンチ」が「パワーグローブ」というアイテムに代わり登場しており、「複数の爆弾で挟む」戦法がとても有効だった時代で
単純に「ローラー」と「爆弾」をたくさん取れば有利で、「ドクロ」のノロノロ病なんかにかかろうものなら十字キーを押す指にグググと力が入り、誰かにドクロを移そうとしている間にやられてしまうのがパターンだった。
スーパーボンバーマン2(通称:ボンツー)を初めてプレイしたころ、僕は4歳か5歳。スーファミはもっておらず、ゲームというものにただただ憧れている時期だった。
そんな僕を容赦なく(ボンバーマンで)いじめるシュンちゃん。1歳年上のお兄さんということもあり、ゲームの持ち主ということもあり、当時の僕よりも何枚も上手だった。
しかし何度かやっているうちに少しずつ上達したのか、たまに僕が勝ち続けることがあって
僕がリーグ優勝(?)しそうになるとシュンちゃんは僕が使っている2Pのコントローラーを本体から抜き取るという年上らしからぬ卑劣な行為に及んだ。
そして、僕があやつっているボンバーマンが死んでいく姿を見ながら半泣きでコントローラーを差そうとしていると…
体格のいいシュンちゃんのおばさんがダダダダとすごい勢いで部屋に飛んできて
シュンちゃんの首根っこを掴み、奥の部屋に一気に連れ込む。
ピシャリとふすまが閉まり姿が見えなくなると、今度は「シュン!なんであんなことするの!」という怒号と「パチン!パチン!」という皮膚と皮膚がぶつかり合う音が聞こえてきて
シュンちゃんの「うわーーん!」という泣き声がアパートの部屋中に響き渡り
1分ほどするとグズグズになってボロボロになったシュンちゃんが部屋の奥から出てくる…
そして、何事もなかったかのようにまた一緒にボンバーマンを始める…
という「お約束の」流れが、ボンバーマンに限らずストリートファイターとかやってるときも何度かあった。
その光景を見るたびに「シュンちゃん学習しないなぁ」とか思いつつも
自然とクジラがイワシを飲み込むような「食物連鎖」の縮図を見ているようで、悪いことはしちゃいけないなぁとシュンちゃんを反面教師にしたものだった。
5歳で接待を学ぶ
あまりにもシュンちゃんが叱られるから
僕がゲームで勝つ
↓
シュンちゃんが2Pコントローラーを抜く
↓
お母さんがシュンちゃんを叱る
↓
シュンちゃんがちょっと優しくなる
↓
もういいや、負けてあげよう。
という思考回路にたどり着くようになり、シュンちゃんもそれを察したのか「対戦モノ」ではなくて
ヨッシーアイランドとかマリオワールドとか一緒に進んでいく系のゲームに切り替わっていったのだった。
今、社会に出て「空気を読める」ようになったのも、シュンちゃんとボンバーマンのおかげかもしれない…
つづく