無理に捨てなくてもいいものなのかもしれない。
実際まだ動くし。まぁ動くって言っても何回もフーフーしなきゃいけないし、テレビにつなぐ三色の端子は接触が悪いし。
でも、子どもが生まれて、引越しを何度も繰り返すうちにモノが減っていって。
大好きだったハンターハンターのコミックスも手放したし、クローゼットの場所を取るだけだから捨てようかなって。
でも、いざ捨てるとなると、手が止まってしまってね。
こればっかりは、思い出がありすぎる…。
スーファミ捨てます
お葬式っていうのは「残される側のためにある」っていうのは、本当にその通りだなって思う。
身内や知り合いの葬式にも何回か出たことがあるし、大切に飼ってきたペットのお墓を作ってあげたことも何度もある。
死に触れるたびに感じる何とも言えない心臓にベターっと張り付くような圧迫感。
これを拭い去ってくれる大事な儀式、それがお葬式。
今日はスーファミのお葬式、告別式をやろうと思います。
ちょっとノスタルジックな内容になりますが、「ああ、分かる分かる」という気もちがポワンと浮かんでくれると、彼らも浮かばれると思います。
出逢い
スーファミがうちに来たのは僕が小学校1年生の頃。
うちはそこまで裕福な家庭じゃなかったから、スーファミが来たのはまわりの子たちよりも少し遅かった。
いとこの家でファミコンのボンバーマンキングをやらせてもらったり、友だちの家でスーファミのファイナルファイトをやらせてもらったり
家庭用ゲーム機に触れる機会はあったものの、当時ファミカセだけでも6000円ぐらいしてたから、小学校に上がりたての男の子の物欲を満たすにはハードルがとても高かった。
家庭用ゲーム機をもっていなかった僕は、近所のレンタルCDショップに設置してあるアーケードのストリートファイターⅡのデモプレイ画面に合わせてボタンを押して「ゲームをやっているフリ」をすることで、ゲームへの欲望を満たしていた。
だから、ひょんなことからスーファミが家に来ることになったときには飛び跳ねるほど嬉しかった。
最初に買ってもらったソフト
当時、母が勤めていた会社になぜかスーファミがあって。夏休みなんかに職場に遊びに行ってはそこで「新・桃太郎伝説」をさせてもらっていた。今思うと、ゆるい会社というか、子育て女性が社会復帰しやすい先駆的な会社である。
桃太郎伝説は、桃太郎と金太郎と浦島太郎とかが出てくるRPGで、天外魔境とかも好きだったし、ハドソン信者気味の小学生でした。
そんなこともあって初めて手にしたスーファミのカセットは不朽の名作RPG「マザー2」だった。
最初は「1日1時間」というルールが設けられ、姉とコントローラーの取り合いになりながらもルールを順守していたが、ある事件を理由に破られることになる。
オトナの深夜プレイ事件
いくらRPGをしてきたとはいえ、やはりそこまでゲームに慣れていなかったにしけい少年。
そして、1日1時間というタイムリミットが設けられている中で出来ることは限られており、ストーリーを進めるスピードは極めて遅かった。
特に3つ目の町へ向かうために通る「グレイトフルデッドの谷」というところでかなり苦戦したのを覚えている。
主人公のネスひとりで、回復から攻撃からあれやこれやとしなきゃいけないし、頭にキノコが生えるとイチイチ町に戻らなければ治らなかった。
なかなか思うように進めなかったのは姉も同じで、最初のプレイではどんぐりの背比べといった進み具合だった。
姉と僕で3つあるセーブデータのうち2つを使っていたが、実はもうひとつのセーブデータでプレイしていたのが母だった。
母は一番最後にプレイを始めた。親として子どもの喜ぶ顔を見たいと思ったのか、優先的にプレイさせてくれた。
しかし、事件は起こった。
ある日、学校から帰ってきた僕はいつものようにマザー2をやろうと
スーファミをせっせとテレビとコンセントにつないで準備していた。
横には姉も一緒だった気がする。二人でマザー2の画面を夢中で眺める。
よし、今日こそポーラを助けに行くぞ…!
あれ?
セーブデータ3だけ、仲間が2人増えている…
僕がセーブデータ1、姉がセーブデータ2…
セーブデータ3は…
おかん…!!!!!!
そう、子どもたちには「ゲームは1日1時間」と高橋名人のようなルールを与えておきながら
自分は僕らが寝静まったあと夜遅くまでプレイして、1人でストーリーを進めていたのである…!
なんなんだ!これから僕が助けに行く女の子どころかメガネをかけた男の子まで仲間になってるじゃん!!!
オトナ、ズルい!!オトナ、ズルい!!
この1件から「1時間ルール」はほとんど意味をなさないものとなり、僕と姉のコントローラーの取り合いが激化し、にしけい家に混沌(カオス)が生まれたのである…。
つづく