ZIPFMナビゲーター&ナレータースクールに通い始めて8ヶ月。
コバタクこと小林拓一郎先生の授業で恒例なっているらしい「ビブリオバトル」
この授業で思いのほか良い評価を頂いた羽田圭介さんの「メタモルフォシス」についての紹介を記事にしてみました。
(本当にまだまだ語彙も少ないし、もっともっと磨くところはいっぱいあるんだけど、しゃべりのプロからお褒めの言葉を頂けたのは素直に嬉しいです。その嬉しさありあまっての記事です)
「メタモルフォシス」って何だ?
【変態(Metamorphosis)】動物で、幼生から成体になる過程で形態を変えること。おたまじゃくしがカエルに、蛹 (さなぎ) がチョウになるなど。
表紙にも蝶が描いてあるし、生物学上の「変態」かなと思いきや中身はSMプレイに溺れていく、そっちの「変態」男二人の話。
「夜の蝶」=「SM嬢」としてかけてあるのか…?
主人公の普段の顔とSMプレイ中に見せる顔が、幼虫と蝶が見せる変態のごとく差異があるという意味でのこの表紙なのか…?
一通り読んでから表紙を改めてみると、これはまた何か考えさせられるものがあります。
書店でいろんな本を漁っているときに、裏表紙のあらすじに書かれていた「その男には2つの顔があった」という一文にピンときました。
「サラリーマンとしての自分と占い師としての自分」と、いちおう自分も2つ違う顔があるなと思って、何か共感できる部分があるかもしれない…と思って購入。実際読んでみると、何のことはない、SMにハマるド変態の話。
出張中に一気に読んだんですが、新幹線の中で「これ、僕、エロ本読んでるわけじゃないよ?官能小説読んでるわけじゃないからね?」という気恥ずかしさがこみ上げてきて、生まれて初めてブックカバーに心の中をカバーしてもらったような気がします。
絶妙な設定がおもしろい
1人目の主人公のサトウはサラリーマン・営業職、そして年齢も近いということで「ああ、分かる分かる」がチラホラ。そんな「分かる分かる」が一瞬にして崩れ去るSMプレイの描写。
2人目の主人公がアナウンサー学校の先生。と、そこに通う女学生の話。
実際、ZIPのナビゲータースクールに通っていたのもあって、「ああ、こうやって先生に近づこうとする女の子いるわー」とか「アドリブで時間内にしゃべるってどこの学校でもやってるんだー」とかアルアル要素が多々あって
読んでいるうちに「あれ?これもしかして、うちのスクールでもあるんじゃ…」というリアリティが湧いてきてしまって…人妻モノのアダルトビデオを嗜好とする人々の気もちが何となく理解できました。
(現実離れしたファンタジーではなく、”身近さ”を感じるからこそ入り込める世界ってあると思うんですよね)
こういうスクールに通っていなくても、露骨に表れる性器やオシモの表現がリアリティで、思わず下半身がキュンとむずがゆくなる言葉も。「ああ、それをやっちゃうと、おしりの穴が…」みたいな、体感に訴えかける共感が強くそこから湧く親近感もあるんじゃないかな。
自分にとって「当たり前」についているものが、ありえない状況になったり…
想像できそうで、でも、想像できない…けど、なんか分かる…そういう絶妙な設定が、羽田さんは上手な気がします。
気持ちいいぐらい突き抜けてるズレ
羽田さんの本は、この本以外にも
芥川賞を取ったスクラップアンドビルドと、御不浄バトルの3冊を読みました。
この3冊から感じたことは羽田さんが描く主人公の「心地良いズレ」と「突き抜ける力」の凄まじさです。
一般常識や道徳とは何かズレているんだけど、強い信念をもって行動を起こしているところが、なんかこう清々しくて気持ちよくなります。
主人公のサトウが霊園で、女王様と全裸で四つん這いで夜のお散歩を楽しんでいるときに、いちゃいちゃするカップルに対して心の中で述べる侮蔑の言葉が本当に衝撃的ッ…!!
“変態めが。(中略)人目に触れる場所でキスもペッティングもできてしまう一般人たちの無自覚な変態さは、自分たちの意識的な変態よりよほどタチが悪いと軽蔑していた。”
確かにぶッ飛んでいるんですけど、このぶっ飛んだセリフの中に、ある一種の愛を感じたりするんですよね。
中学の頃とか、母親が服を買ってきてくれたりしたんですけど、何か自分が着たい服とは違うんですよね。「なんだよ、この英語は、どういう意味だよ」と思わずツッコミを入れたくなるような、言っちゃうとダサい服を買ってくるんですよね。
でも、そこには母親なりの「あんたには、絶対似合う!これを着たらあんたはカッコいい!」っていう突き抜けた自信があるんですよね。そこには愛があるんですよね。
この本を読んでいて山本七平氏の空気の研究に出てきたヒヨコの話も思い出しました。
“聖書学者の塚本虎二先生は「日本人の親切」という、非常に面白い随筆を書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりにも寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。”
この老人がやったことはヒヨコへの感情移入であり、「自分が寒い=ヒヨコも寒いだろう」という思い込みがヒヨコの死を招いている。
羽田圭介氏が描く主人公たちも、これに近い「何かズレているんだけど、妙に納得してしまうぐらい強い思い込み」があるし、自分の信念や行動に対して惜しみない愛が感じられる。
そして、その思い込みを原動力に行動を起こすから、何かしら結果がついてくるし、目標を達成した際には大きな幸福感や満足感が得られている。
ボウリングで例えるなら、ボールを投げた瞬間からレーン端のガーターに落ちているのに、すっごい剛速球だから、最後にちょっと跳ねて2,3本倒れちゃうみたいな。
この変態の突き抜け方が読んでいて気持ちいいぐらいだし、自分ももっと自信をもって自分が正しいと信じる道を進めばいいんだな、もっと吹っ切れていいんだなと思わせてくれるような、そんな1冊です。
友だちとケンカしたり、上司に叱られて「いや、でも俺の言い分の方が正しいよなぁ…」と思ってしまったときに読むと、妙にハイになってそんなことどうでもよくなるかもしれません。
ご興味があれば、ご一読ください。
にしけい