20時発の飛行機に乗る。
23時を過ぎると、機内は暗くなり人々は寝静まり、何事もなかったかのように朝を迎える。多少の揺れも機内の排気音もゆりかごと子守唄にすぎない。
僕も目を閉じてウトウトする。少し目を閉じて気がついたらケアンズに到着しているはずだ。しかし、そうはいかない。ときおり、どこかからか気流に乗って僕の鼻を刺すような臭いが訪れる。卵の殻を濃縮させたような、硫黄臭が鼻にツンも刺し込む。近くの乗客が定期的に寝屁をこいているのである。
左隣の少しやんちゃそうな日本人女性なのか?それとも前に座っているヒョロッと細長い体型をした白人風の中年夫婦なのか。この中年夫婦はなぜか違う席からわざわざ僕の前の席に移動してきている。
この屁の臭いはかなり腸が悪い、消化がうまくいっていない臭いだ。体の向きなども考えると前に座っている白人風の中年夫婦の妻のほうだと推察するが、隣のヤンキー風の女性の動きも怪しい…。
眠りに落ちそうなときに限って悪魔のような臭気が鼻に入ってくる。最高におもしろいところで入ってくる鬱陶しいコマーシャルのように、最高に最悪のタイミングで屁を垂れ流しているのである。
騒音であれば、客室乗務員に伝えれば、ある程度対応してもらえるかもしれない。ヘッドホンなどの音漏れは出どころが明確だからだ。しかし、寝ながらの屁となると、出どころが薄々わかっていたとしても、それを制止させることは難しい。
『屁』という漢字は「尸」と「比」から成る。「尸」は尻を差し、「比」は並進や並列に増える動きを表す。この空間に広がり漂う屁の臭い。さてどうする。これは由々しき事態である。
「ちょっと寝ながら屁をこくのをやめてもらっていいですか?」は英語で何て言えばいいんだろう?それを伝えて「ソーリー」と残念そうに謝られたとしても、問題解決にはならない。それは「寝るな」と言っているようなものである。
毒を以て毒を制す。平和的に解決するためには、屁に屁を返すしかないのか?この強烈な屁に自分の屁をぶつけて中和させることは可能なのだろうか?屁の二重奏(デュエット)で生まれるものがあるのだろうか。しかし、僕自身こんなに強い屁(?)を出せるのであろうか。ここまでの臭いを出すには日頃の食生活を最悪のものに変えて腸内を鍛え直す必要があるだろう。
人々は孤独に苛まれている。自分と他者の間に壁を感じ、その壁の中でひっそりと暮らし続け孤独に死んでいく人たちもたくさんいるはずだ。その中には「他者との間の隔たり」をどうすれば越えられるだろうかと苦心し、試行錯誤した者もいるだろう。それでも壁を乗り越えられず、絶望に打ちひしがれ、肩を振るわせた夜もあるだろう。
しかし、そんな人と人との間にある壁をも簡単に乗り越えて、プライベートゾーンに侵入してくる。それが『屁』である。出て行ってくれと懇願しているにもかかわらず、いとも簡単に強引に壁を乗り越え僕の鼻に侵入してくるのである。しかも、屁を出している本人は全くの無意識状態でそのようなものを尻から垂れ流し、こうしてブログに書かれていることにすら気づいていないのである。
もしかすると、他者との間にある壁や隔たりは屁を見習えば簡単に越えられるのかもしれない。自分が出した、アウトプットした、表現したものを垂れ流すことで、誰かの中に入り込み、十分すぎるぐらいの存在感を獲得し、他者とのつながりを構築しているのかもしれない。なりふり構わず、出まかせにアウトプットしてみるのもいいかもしれない。屁なだけに。
この記事も(近くの)誰かが出している寝屁のように強烈に人々の中に記憶されることを願って…。
眠れない夜は続く!
旅は続く!