
ゲームセンターでの原体験と「分かり合えない」ことが前提にあるからこそ「尊重」が生まれるのかも
5歳か6歳のころのこと。だいたいのことは忘れているんですが、この出来事だけはなぜかはっきり覚えていまして。おばさんから100円をもらって、従姉妹のお姉ちゃんに連れられて近所のスーパーにあるゲームセンターに行ったんですね。
人間観察
5歳か6歳のころのこと。だいたいのことは忘れているんですが、この出来事だけはなぜかはっきり覚えていまして。おばさんから100円をもらって、従姉妹のお姉ちゃんに連れられて近所のスーパーにあるゲームセンターに行ったんですね。
その仕事が好きであることには越したことはありません。その仕事に対してのハードルが下がり、心理的コストが低下するからです。 自分に合っているものは何?改めて「コスト」について考えてみてもいいかも https://nishi
さまざまな事物において言えることなのですが、「反応の強さ(速さ)」と「イメージの固定度」は比例します。 あなたが何かに強く反応するときは、その対象についての「固定されたイメージ」があります。 例えば、自分の名前が「田中」
お部屋にお邪魔したとき、車に乗せてもらったときなど、「その人が作り出した空間」にお邪魔することがあります。その人が作り出した空間は、その人の人柄がよく表れます。 例えば、飲みかけの缶コーヒーや捨てられていないティッシュな
「戦い」というものは、一点に複数のものが凝集・集合する状態を指すんですね。 例えば、あなたが誰かを殴りつけるときに何が起きているかというと、特定の空間にあなたの拳と相手の頬が集合している状態を指すわけです。空間を互いに占
付き合う人、結婚する人たちもいれば、別れる人、離婚する人たちもいます。それはある意味、人生の自然な流れなのかもしれません。でも僕はいつも思うんです。 「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉を交わせていれば、別れなくて
対等性、フラットさについて。 長く関係性が続く相手との間には一定の「敬意」があります。人はそれぞれ固有の世界観、価値観、生活空間といった「テリトリー」を持っています。「敬意」とは、その個人の境界線や自律性(テリトリー)を
「おすすめの本は何ですか?」「この本はいい本ですか?」 こういった質問をする人は、「自分は楽して有益そうな情報を得たいだけで、特に頑張る気がないケチな人間です」と自己申告しているようなものなので、やめたほうが賢明だと思い
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