物語や物事の基本サイクル
物語や物事の基本構造は、選択肢の増加→選択肢の減少→転換点→選択肢の増加…というサイクル構造になっています。それで、ほとんどの生物が求めているのは「選択肢の減少→転換点→選択肢の増加」で、人間も選択肢の減少を解消してくれ
抽象化
物語や物事の基本構造は、選択肢の増加→選択肢の減少→転換点→選択肢の増加…というサイクル構造になっています。それで、ほとんどの生物が求めているのは「選択肢の減少→転換点→選択肢の増加」で、人間も選択肢の減少を解消してくれ
フローとストック 世界の先が読める「思考」と「知識」の法則/細谷 功 https://amzn.to/4djsVbF この方の「具体と抽象」という本も好きだったのですが… すごく失礼なお話かもしれないのですが、新作のフロ
雑感メモ記事です。 せっかちさん 3年前ぐらいから感じていることなのですが、自分が美しい、最高だ、これはすごいことだと感動する発見はほとんどの人に共感されない・反応されないものになってきている
飛び出そうとするから、押さえつける存在を実感するのか。それとも、押さえつける存在があるから、飛び出したくなるのか。どっちなんだい。光と影のようにどちらかが出現したら、もう一方が出現する系の話なんですかね。 そう考えると、
「おそれ」とは、何もないところに一次元的直線が発生することを指します。刺激、インスピレーション、鼓舞、創造、思いつく、閃くといった状態と「おそれ」は基本的に同じ構造をしています。 「凶」がなぜ悪い意味で捉えられているかと
ここ半年ぐらいの個人的研究テーマのひとつに「90度」というものがあります。直角です。よく「角が立つ」と言ったりしますが、美しい完璧な90度が形成されると、日本語の意味のような「角が立つ」ということは起こらなくなります。図
断易(五行易)に当たり前のように出てくる「世爻」ですが、これは何を指すのでしょうか。 「自分自身」や「主体」を指すのであれば「我爻」「自爻」「主爻」と表現しても良いはずです。しかし、そうではなく「世」という漢字が用いられ
家について考える機会が多いにも関わらず、「家とは何か」を抽象化していないことに気がつきました。これは盲点でした。 「家とは何か?」を宇宙人や未来人に説明するときに下の記号を使って頂ければ通じると思います。
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