【手相探求】「右手後天的要素・左手先天的要素」説の謎

1950年代~の手相本には「右手後天・左手先天」説が盛んに記載されております。

そこから孫引き、孫引き、コピペ、コピペ…と引用され

ちょっとその辺にある手相本を手にとって読んでみると「右手後天・左手先天」説を堂々と掲げているものが多数存在します。

「手相カウンセラー」とか「手相検定」とかそういった類の、占いとカウンセリングとビジネスを織り交ぜた「うふふ、私たちあなたのことわかっちゃうの☆」みたいな手相本やブログ記事にもこの説を採用しているものが多いです。

 

でも、ちょっと考えてみてください。

 

右手が後天的要素なら、生まれ瞬間は右手は手相がツルツル

もしくは左手の方が線が多いことになります。

 

しかし、実際は違います。

 

僕は娘が生まれて20秒で娘の手を見ました。

関連記事:占い師が娘の名前を全精力をつぎ込んで決めました。

 

両手ともクッキリ線がありました。

 

こうやって既存の説を検証して否定して

「いえーい論破したぜww」と悦に浸りたいわけではないのです。

 

何が言いたいかというと

それっぽい理論でわかったふりをして「思考停止」しちゃうことが怖いのです。

 

僕自身まだまだこの右手と左手の理論については「これだ!」という答えにいきついていません。

最近だと右手と左手にそれぞれ「回転による引力と斥力」があるのではないかと考えるようになりました。

しかし、これも自分の中ではまだまだ「納得のいく答え」ではありません。

右手と左手の不毛な議論にまだまだ決着はつく様子はありませんが

「納得したような気持ち」になって、思考停止することがもっとも危険…というか「不自由」だなと思います。

 

手相は、占いは、思想は、もっともっと自由でいいのです。

それなのに自ら縛られてしまうことを選ぶということがちょっとなんというかマゾヒズムだなと思わざるをえないのです。

縛られると楽だけどね。動かなくていいし。

でも、水も人も「動かなくなる」と腐ります。変な臭いが出てきます。胡散臭くなる、キナ臭くなる。

「安定」は楽だけれども、それを求めた結果「自由」ではなくなるのです。

にしけい

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