最近、船井総研の故船井会長の本を読み漁り、いろいろ本を辿っていった結果「カタカムナ文字」に辿り着きました。
カタカムナ文字についてはちょっと検索するといろいろ出てきますが、実際これを完全に解読して応用できている人はいないという旨を書いている人もいるぐらい、全貌は謎に包まれています。
僕も最近いろんな文献を読み始めたばかりで、宇野多美恵氏の「相似象」もきちんと読めていません。
しかしながら、このカタカムナ文献は宇宙や地球や人間について古代人たちが徹底的に研究したものをまとめられたものなだけあって、気学の大本である陰陽五行思想と通じる部分が多分にあります。
自然や天体を鋭敏に観察していった結果カタカムナと同じような結論にたどり着いたとも考えられますが、数万年前に記述されたというカタカムナ文字からヒントを得て陰陽五行を生み出したのではないかと考えられます。
様々な人々がこのカタカムナ文献について研究、応用しようと試みております。楢崎皐月氏はカタカムナ解読の第一人者であり、この古代人たちの超技術を科学や農業に用いた人物であります。
現在、このカタカムナ文献をいろんな形で応用される、しようという試みがありますが、僕もこの「カタカムナ」を手相に応用できないかと考え、この3週間ほどいろいろと思索しておりました。
このブログでは、自分なりの考えやその過程で閃いたことを随時まとめて記載していこうと思います。
現在一般化されている手相は完璧?
現在、14世紀後半に誕生したスンマ・カイロマンティアをベースにした西洋手相学が世界中に流布しております。手に惑星を配したこの手相術は確かに当たる部分も多分にあるのですが、「完全」ではないような気がしてならないのです。
新しいものを生み出すためには旧態依然とした手相研究のやり方では打破策が見つからないと思います。これまでの常識を打ち破るべく全くの異分野から手相を観察する必要があると強く考えていました。
僕にとっては全部が手相のヒントになりうると思う反面、逆もまた真なりで「手相」というものは存在しないのかもしれないという考えがどこかにあります。
にしけいは遂にヤバい宗教を始めたんじゃないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません、宗教をやる前から頭がヤバいのです。そして自分ではこれは普通だと思っています。いちおうギリギリ会社員もやっています。かなりギリギリですが。
手にもイザナギとイザナミが存在している理論
さて、本題に入りまして。少しずつですがカタカムナ文献を少しずつ噛み砕きながら理解した情報から手相を考察していきます。今回は「手の中にもイザナギ・イザナミが存在している」という内容です。
正直、この内容は手相教室でのみ話そうと思っていたのですが、もったいぶっていても自分の考えの良し悪し(評価)が分からないのでガンガン放出していきます。
カタカムナ文献の第1首の歌には宇宙の成り立ちや潜象世界について記述されています。
アマ始元量がもつ「粒子性」と「波動性」という性質はそれぞれ古事記に登場する「イザナギ」「イザナミ」に対応すると言われております。
イザナギ:男:粒子性:陽:凸
イザナミ(イサナミ):女:波動性:陰:凹
これを手の中に当てはめたときに、単純に体の外側部分…つまり指先側がイザナギの粒子性、手首側がイザナミの波動性となります。
できるだけシンプルに考えてみてください。外が男で、内が女です。
つまり、手の中でもっとも波動性が高いのが「手首線」ということになり、粒子性が高いのが指先になります。
もっとも粒子性が強い指先は、手首に比べ物体に触れる頻度が強いはずです。未知のものを探ったり、相手を労ったりする際には必ず指先からその物体に触れます。対外的で冒険的で男性的な部位が指先になります。
反対に、手首線は西洋手相術でも冥王丘が配され、生死・臨床世界・先祖といった目に見えない世界との繋がりを表しています。手首にブレスレッドをつけるのは目に見えない世界からの影響から我が身を守る為でもあります。手首線は子孫繁栄とも密接な関係があり、手首線が乱れている場合はその家の艮宮が乱れていることが多いです。
これらのことを踏まえ、ざっくり手の中に「陰陽」「プラスマイナス」を配するとしたら、やはり指先側がイザナギ的、手首側がイザナミ的と言えると思います。
現在、ここから従来の手相術とは違う考えを展開思案中です…!
異論や付け足し意見などがあればお受けします
これはあくまで持論であって、現在一般的な西洋手相術とは異なる点が多々あると思います。しかしそれを超えて手相をさらなる技術へ昇華させるための思索なので、ご了承ください。
「普通の手相占いでいいや」と考えている方にとってはご理解いただけない部分もあるかもしれませんが、異論や付け足し意見などがあればお受け致します。
この「手のひらにイザナギ・イザナミがいる」理論をベースに思索を重ね、さらに発展を目指したいと思います。
もしかしたら、違っているかもしれません。
でも違っていることが分かっただけでも人生の大きな収穫じゃないでしょうか。僕はそう思います。
にしけい