2年前ぐらいから気合いを入れてやっていた暗黒魔界図書館ですが、とりあえず一時休止にします。
休止にする理由は3つか4つぐらいあって。
ひとつ目は「本と人との出会い方」についてです。
読みたい本とか、知りたいことの熱量が高まると自然とそういった本に巡り会うことができます。
自分の理解レベルということもありますが、僕は「熱量」の方が有効に働くファクターなのかなと考えていて。
最初は「占い書籍専門店がない名古屋の人たちにも貴重な本が読める環境を」と考えていたのですが
あの、普通に考えて、僕も名古屋に住んでいながら全国でいろんな本を買って読み漁っているわけで
単純に「熱量」があれば、どこに住んでいても生活費を削ってでも東京や大阪に行って本を買いにいくわけです。
なので、なんかこう「そこまで熱量がない人」に「この本おもしろいんですよ!」と話している自分がむなしくなってきたというか。
このあたりは、先日秋葉原にある某占い本がたくさん読める喫茶店に行った時に
そこの店主さんが僕と友人の会話に割り入るように自分のコレクションの中から勝手にオススメ本?ぽいものを出してきて「これ読んでみて」と言ってきたときに感じた違和感と似ていて。
なんというかやっぱり「求めていないもの」を提供するのって「ゆがみ」というか「違和感」が生まれるんですよね。
暗黒魔界図書館は確かに利用してくださっていた方々もいましたが、なんかこうお客さんと僕とのあいだの熱量の差が間違いなくあって。
自分のように「ダメと言われてもいろんなところで占い本を読みあさり、1回の買い物で諭吉さん10人ぐらいは軽くさよならしてしまう」ぐらいのネジが外れた人が手に入れた本を
「そのへんの本屋で占い本ないかな〜」ぐらいのモチベーションの人が読んでも、まぁそれなりに何か得るものはあるのでしょうけれども、そこまで収穫ってあるのかなと思ってしまったわけです。
これは僕のエゴと言ってしまえばそれまでなんですけれども
先述した秋葉原の占い本喫茶で感じた「不要だと感じるものをいくらもらっても意味がないな」という感想から考えると僕もあの店主と同じようなことをしていたのかなと思ってしまったのです。
あの、まぁ、結論を言うと「欲する人のところに自然と欲するものが集まる」というのが僕の元々のコンセプトなので
名古屋に住んでいても、北海道に住んでいても、海外に住んでいても、どこだろうと「欲しいものは手に入るし、欲しくないものは手に入らない」というわけです。
基本的にはサービス精神旺盛なので頼まれたら断りませんし可能な限り頑張るのですが、注文がないのに自分がいいと思う料理を作ってお客さんに提供するのも、それはそれでエゴだなーと。
あとはこれは僕自身にも言えることなのですが、やっぱりその本を理解できるまでにある程度自分自身のレベルアップが必要なものとかあります。
最初はわからなかったけれど、いろいろ他の勉強をしていった結果、久しぶりに読むと「ああ、そういうことだったのか!」と思える本もたくさんあります。
そういう経験があるので僕は基本的に本を借りるよりも「買いたい」と思うのです。いつでもすぐに手に取って読める環境にしておきたいので。
著者の純度が高い本が好き
ちなみに現段階で僕が良い本だと判断する基準は
1.同じジャンルの本の中でも特異性があり、唯一無二の情報がある。
2.正しいか間違っているかはさておき、著者自身が検証したり研鑽したオリジナルの情報であればあるほど価値がある
3.占いに関して言えば孫請けのまとめ本や、著者自身が検証考察していない持論のない本は中身が薄い
という感じですかね。
もちろん総括本やまとめ本も全体を把握する上では大事ですけど。
編集者とか出版社の意図が混じらない純度の高い「個人のエッセンス」がどれだけ含まれているか。あとは探究心とか変態性が感じられれば最高です。
そんな判断基準なので、僕は割と自費出版とか冊子のような本を見つけるとついつい手に取りたくなります。身内だけに公開するためだけに書かれた本とかも好物です。
歴史的な源流を遡ることも大事なのですが、その人物がもつ源流…原液のようなものがより詰まっている本が好きです。人間くさいというか、飾りっ気がないというか。
あとは最初読んだ時に理解できない本も好きです。非常にワクワクします。言葉としては理解できるけれど、何を言っているんだ?という本ほど得るものが大きいです。
著者のエッセンスが濃いものほど興奮するのです。
本の紹介は自己紹介
暗黒魔界図書館をやっていたこともあって
「オススメの本はありますか?」とか「こういう本ありますよ」という「オススメ本」に関するやりとりがけっこうありまして。
そんな中で感じることは「書籍紹介は自己紹介である」ということです。
自分の「癖(へき)」が丸出しになる可能性があります。
「こういうのを知りたいんだけど、何かオススメの本はない?」というオーダーがない状態で、本をすすめるときってかなり気を配ります。
オススメした本には必ず、推薦者の人格があらわれます。本の内容や著者に少なくとも同調しているもしくは類似した点があるからその本を推薦するわけですから、推薦者の性癖や人格を色濃く反映するのです。
なので最近は「すごいおもしろい本」を見つけても、オーダーがなければ紹介しません。テキトーに読める雑多な感じの本や入門書ならまだしも「読む人を選ぶ本」が好きな僕としては、やっぱり気軽にオススメできないのです。
映画とか漫画とかでも「誰がみてもそれなりにおもしろい作品」と「読む人を選ぶマニアックな作品」があります。僕は後者を選びがちなのでこれまでにけっこうこれで痛い目をみてきました。
貸したCDやDVDとともに友人の微妙な表情と気まずい空気も一緒に帰ってくるのです。
「あ、うん、私は(この作品はちょっと)違ったかなー!好きな人は好きだと思うけど!」という僕への配慮120%の感想が帰ってくるのです。
なので、貸す側・オススメする側の見極めが大事だなと学習した今
僕にオススメを聞く場合は必ず「目的」を明確に伝えて欲しいです。
余裕かましてる場合じゃない
話がだいぶ逸れてしまいましたが
暗黒魔界図書館を休止する上でもっとも大きな理由としては「何まとめに入っているんだ」という自分への憤りがありました。
図書館というのは本がたくさん集まった、ある意味本や情報が「滞っている場」です。
たくさんの人たちを「受け入れるホスト側」につくということは、「受け入れる余裕」があるわけです。
「余裕」は確かに必要ですし、素晴らしいことなのですが
今年32歳になって「まだまだ挑戦者」という時期に余裕をかましてのらりくらしてる場合じゃないでしょ!というのが本音です。
「最高の本たち」と出会うためにも「止まっている」わけにはいきません。そこで満足しているわけにはいきません。
秋葉原の占い本屋のおじさんの本棚には僕の本棚よりもたくさんの占い本がありましたが、僕が知っている分野に関していえば「浅く広いラインナップ」でした。なるほど。この人ただのミーハーオタクだな。そんな感じでした。(もちろん品揃えはすごかったですし、見せてない本もあるかもしれません)
個人的には1000冊のダメな本を読むよりも、最高の1冊を読んだ方が価値があると思っているので「量より質」です。
「最近肉は脂っこくて食べられなくなってきてね〜量より質だよね〜」と健康を気遣うおじいさんみたいなことを言い出しましたが
やっぱり自分の中で最高で最強の本だ!と思える本を見つけ出したいので、もっともっといろんな世界や本に挑戦していかなくてはなりません。
自分のレベルを上げれば、自然と上質な本が出てくるはずです。
サロン限定 本と植物の即売会
というわけで、オンラインサロンの方限定になりますけど
暗黒魔界図書館休止前「にしけいの占い本一斉棚卸しセール」を近々開催します。
ついでに植物も販売するので「本と植物の即売会」になります。タイトルだけ聞くとオシャレです。
メルカリとかに出すのがめんどうくさいので持ってけドロボーセール、そのあとメルカリに出してもいいよ即売会です。
暗黒魔界図書館は僕が700歳ぐらいになって、もう地球ではだいたいやりつくしたワイ…と感じたら始めようと思います。
にしけい