何事もそうかもしれませんが、占いは場数を踏めば踏むほど当たる確率は上がります。
以前、キャリアや経験年数を誇張する占い師「キャリドヤ占い師」を否定する記事を書きましたが、やはりある程度「キャリア」は占い師の実力を測る物差しになりうると思います。
その理由のひとつは「思い込む」「思い込ませる」エネルギーが雪だるま式に強くなるからです。
僕はこの1ヶ月「引き寄せ」は本当に存在するかどうかを実験しました。結論から言うと存在すると思います。
別途記事を書きますが、実験の結果自分が想像し望んだものが現実に起こりました。むしろ、想像できないものは存在しません。想像されないものは創造されないのです。
量子力学の観点からも引き寄せの法則は存在すると言えます。認識するから粒子性が生じる。これは実際に実験でも確かめられています。
けっこう自己啓発セミナーや宗教やネットワークビジネスなどにおいて「引き寄せの法則」を勧めているところが多いため非常にこの法則に対して懐疑的・否定的になってしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、法則自体は存在すると自分は確信しました。しかし、強要はしません。
この法則を強要したり、それでお金を集めたりしている点に人々は疑念を抱くのだと思います。「体験させて」もしくは「体験したと錯覚させて」から「だから、私(神)が言っていることは全て正しいでしょう?」と信じ込ませる手法が非常に多いように感じます。
時にはコールド・リーディングを使っている場合もあります。とにもかくにも思い込ませる、信じ込ませる。「信じる者」と書いて「信者」ですが、「思い込む」「信じる」エネルギーというものは凄まじいものを生み出します。医学でもプラシーボ効果の存在を否定できていませんし、時には科学や常識を超える力があります。
思い込む力が占いにも影響する?
この思い込みの力というのが占いにも働きます。
例えば、占い師自身が「自分が行うタロットによる占術は当たる」と思い込んだとします。
占い師自身は自分が当たると信じ込むまでに(自信がつくまでに)紆余曲折試行錯誤があり、失敗と補正を繰り返しているはずです。
(この「自信がつくまでにかかる時間」は個人差がありますが、例えば「有名でよく当たる占い師の元で学んだ」ということであれば、その時間は短縮される可能性があります)
そして「自分が当たると思い込んだ占い師」は自分でその結果を引き寄せるようになります。もちろん努力や研究の成果とも言えますが。
まず何を引き寄せるかというと、「自分の占断結果を納得しているお客さんの姿」です。
そして「この占い師が言うことは当たる」と思い込んだ被占断者は自分の未来を占い師の言葉通りになると思い込みます。
「32歳でイケメンで高身長な男性と結婚するよ!」と言われた場合、これを信じ込み被占断者自身がその未来を現実のものにしてしまうわけです。思い込みが現実を引き寄せるのです。
そして後日、被占断者が実際にイケメンで高身長な男性と結婚したという旨を占い師に報告します。すると、占い師は自分がやってきたことをより強く信じ込みます。
この「信じ込む」「思い込む」エネルギーは雪だるま式に大きくなります。
ある特異点を過ぎると急に占いの的中率が上がる時期があります。僕が思うにこれが「自分を信じ込めた時期」だと思います。
占い師としては最初の第一歩と言えるかもしれません。
世の中は思い込みで出来ている
「私たちの仕事は違う!」と強く否定する人もいるかもしれませんが
相手を信じ込ませることは占い師だけではなく、宗教もコンサルタントも政治家もアーティストも学校の先生だってやっています。
なぜなら「信用」や「信頼」があってはじめてお仕事が成立するからです。
我が子を預ける親御さんたちに信用されなければ学校の先生は務まりませんし、お客さんを信用させ思い込ませなければモノは売れません。
「信用」は、物質主義の科学の世界であっても「権威」「栄誉」という名目で根強く残っています。目には見えない非科学的なものなのにです。
つまり、「思い込ませる」という行為は至るところで日常茶飯的に行われているのです。
もうこの世界が当たり前だと思い込んでいるから気づかないかもしれませんが、ありとあらゆるところに思い込みが存在しちゃうわけです。
流派は必然的に生まれる
さて、占いの話にもどしますと。
占いには無数の流派があります。僕が特に専門とする手相占いでさえ、占い師の数だけ流派があると思ってもらっていいと思います。
手相占い師の中にも「やり方」に派閥があって、時には互いに批判し合ったり、間違っていると主張したりします。
手相占い業界(?)はまだそういった論争みたいなものは比較的穏やかな方なのですが、四柱推命とか風水といった中国式の占いになりますと本当にそれは凄まじいもので。
「あいつらのやり方は間違っている、このやり方が最強だ」といった旨を序論にガシガシと書いている本もあり、血気盛んだなぁと感心させられるものです。占いは戦争の道具でもありますから仕方がないですけど。
なぜこのような「他流派批判」が起こるかというと、先ほど申しましたように「自分がやっていることが正解だ」と思い込んでいるからなんです。
おそらく自分の流派や考えに沿ったデータを無意識のうちに選び取り、そうではないデータは除外している可能性があります。無意識のうちにです。
さらに言うと「自分の占いが当たる被占断者」自体を引き寄せている可能性が非常に高いです。「自分の占いが当たる」と思い込んでいるわけですから、自分の占いが当たるお客さんが寄ってくるわけです。
思い込むから当たる、当たるから思い込む…完全に「自分の占いが最高だー!」ループに入っちゃっているわけですね。
そのため「流派」というものは必然的に占い師の数だけ生まれます。
さらに、似た思想の人達が集まり派閥やグループを作りさらに集団意識から「思い込み」が強くなります。これもひとつの「当たループ」です。
「当たループ」という名のアリ地獄を作る
というわけで、ある意味占い師というものはアリ地獄のような「自分の占いは当たるループ」を作ることができて一人前みたいなところがあります。
アリが自分のアリジゴクに落ちてくる、アリを食べる、体が大きくなる、さらに大きなアリジゴクを作るようになる、さらにアリが落ちてくる…
この場合のアリは「お客さん」ではなく「経験値」という意味なので誤解のないように。搾取(食い物に)しているように読み取れちゃうので、一応お断りを入れておきます。
でも、あながち間違えではないのかなー。実際僕も買い物をするときに「ああ、このアリジゴク上手に作られているなぁ」と買ったあとに気づくこともありますし、こう思うと世の中アリ地獄だらけなのかもしれません。
他流派批判はチャンスロス
話が度々脱線してすみません。
結局、何が言いたいかというと
占いには占えば占うほど当たるようになるというループがあって、その当たループが「流派」となってさらに当たループを呼ぶ可能性が高いということです。
で、この当たループ(流派)が「自分やお客さんの思い込みから来ている可能性がある」ということにも目を向けて欲しいのです。
これが出来れば「あいつの占い方は違っている」「○○派の計算方法は当たらない」という他者批判は生まれないはずなんです。
日本教育の文系と理系の対立にもよく似ていますけど、相手の流派を否定するよりも良いところをドンドン吸収した方がお得ですよって話なんです。
僕は手相教室の1回目の授業で必ず「僕を疑いながら授業を受けてください」と生徒さんたちに伝えています。
これを言うと「え?」という表情をされる方もいらっしゃるんですが、僕も自分のアリジゴクをもっともっと大きくしたいのでご協力いただいています。
でも「思い込んだ」方が楽なんですよね…疑うのって疲れちゃいますからね…。
って、あれ?でも、それすら思い込み?思い込んだ方が苦しいときもありますよね。
「思い込み」とうまく付き合っていきたいですね。僕はうまく付き合えていると思い込んでいますけど。
にしけい