アリジゴク「久しぶりに蟻がきたぞ!一生懸命砂をかけろー!」

例えば、スーパーで買った食材がめちゃくちゃ美味しかったら、またその食材を買おうと思うし、自然とそのスーパーに足を運ぶようになると思うんですよね。いいなと思ったら、自然とそれを選ぶような行動をすると思うんですよ。

それと同じで、占われに行って当たっていたり、何かいいなと思うところがあったら、「教わりたいな」とか「もうちょっと話を聞いてみたいな」という感情が自然に湧いてくるはずなんですね。そういう感情が湧かなかったら、それまでだと思うんです。もうそれはしょうがないんですね。

過去にメルマガなどでちょくちょく占われ体験記を書いていますが、なぜか「教わりたいな」とか「もうちょっと話を聞いてみたいな」という感情が湧かない人ほど、勧誘や誘導をする傾向があるんですね。僕は「すごいな!」と思ったら、その場で弟子入りをお願いするし、「何か教えたりはされていないんですか?」と、こちらから質問します。

しかし、そうではない人に限って「君、弟子になりなよ」とか「うちの勉強会に参加しなよ」といった勧誘や告知をしてくるんですね。こはいかに(これは一体どういうことなのだろう)。あと、やたらと「あなたは占い師の素質がある」と褒めて自分の教室に勧誘する人もいます。あれもね、なんかいやだよね。「あなたは手に神秘の十字紋が出ているから、占い師に向いている」って。あのゴリ押し感なんなんですかね。怖くないっすか?

最近、「Z世代はゴリ押しの勧誘や頑張ってる感を出されるのを嫌う」って聞いたんですけど、ゆとり世代の僕も既にそうですし、ゴリ押し感が好きな人って減ってるし、今後もっと減っていくと思うんですよ。それにも関わらず、「君は弟子入りすべきだ!」「うちの会に参加していないから、君は占い師として成就できないんだ!」みたいなことを平気で言っちゃうのって、時代の流れとか個々の性質を的確に捉えられていないわけですよね。

なんか勧誘とか誘導とかをする人って「分かって欲しい人」が多いんですね。「占い師たるもの◯◯だ」とか「◯◯を知らないのに占いを語るな」みたいな。何かしらの判断軸を固定させて、ジャッジする性質があるわけですけれど、イメージの固定化が進むと足りない部分ばかりに目がいくので、「評価されていない」「満たされていない」という点ばかりに目がいくようになっちゃうんですよね。だから、「自分はこんなに頑張ってるのに!」「私をもっと褒めて!」という叫びみたいなものを、自分が誰かをジャッジする形でしか表現できなくなってるんですね。

でも、最初に書いたように、「なんかいいな」って思ったら、自然とまた接触したいなって思うじゃないですか。だから「また接触したいな」って思ってもらえないのであれば、何かしら足りないことがあるし、至らぬところがあると受け止めて、自分の何かしらの要素を改善していくしかないと思うんですよ。でも、そういった人たちのところに占われにいくと、アリジゴクが久しぶりに通りかかった蟻を見つけたかのように、必死に砂をかけて勧誘してくるんですね。そういった現象をリアル・ネット問わず観測してしまうと、なんか切ない気持ちになりますよね…秋が終わってこれから冬に入ろうとするんだな…っていう匂いが街の中に漂い始めたときのような切なさがあるんですね。

僕はいいなと思ったら自然と何かしらに申し込みますので、強引な勧誘はやめましょうね。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。著書は50冊以上。三児の父。詳しくはこちらから。

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