泥酔している人はお酒の製造と販売には向かない

タイトルにもありますように、特定の世界に拘泥している場合、その世界と一体化しているため、うまく駆使・活用することができないという話です。

「◯◯が好き」という状態であれば、◯◯と自分の間に距離があります。離れているわけです。しかし、◯◯が自分のアイデンティティの大部分を占めるようになると、一体化と拘泥が起き始めます。

一言で言うと、枠の中に入っている人は枠を作ったり取り扱うことには向かないということです。自分に酔っている人は自分をうまく使いこなすことはできないし、自分をうまく自分を生かすことができないということです。

例えば、僕はポケモンのランクマッチを毎月やっていますが、それはポケモンという世界の中に入っているわけです。なので、ポケモンのゲームを開発したり、ポケモンのグッズを作る側には適さないということです。おそらく僕にポケモングッズを作らせたら、自分のエゴだけで「等身大ナットレイぬいぐるみ」を開発し、赤字に導くと思います。ポケモンを使いこなす側にまわるには、ポケモンという世界の外からポケモンを見る必要があります。

同じ商品やサービスを長年取り扱っていると、その商品やサービスに関する新しいアイディアが浮かばなくなるという現象が見られます。これも同じように「枠の中」に入りすぎたがために起きる現象です。

ハサミを使いこなすためにはハサミと自分の視座が同一になっていてはうまくいきません。少し離れてハサミと切りたいものを観察する視座が必要です。

 

他者が作った枠の中に固執する

 

見たくない現実や受け入れたくない事実があるとき、現実逃避的にその「枠」の中に没入するパターンも見受けられます。コンプレックスや被害意識のようなものから無意識に他者が作った「枠」の中に救いがあると思って飛び込むパターンです。

一時的に枠の中に逃げ込んでやりすごすパターンもありますが、その枠の中にしがみつこうとしたり、その枠の中の世界に「自我」が定着すると、執着が生まれ始めます。そして、その枠の外にあるものは「おかしい」「ありえない」という風に攻撃したり、拒絶反応を示したりします。おもしろいですね。

 

都合の悪いところにも目を向けられるか

 

ただし、枠の中に入って違う挙動を示すパターンもあります。それは完全に同一化することです。一蓮托生で、覚悟を決めるパターンです。その場合、駆使する・活用するとはまた違った底力のようなものを見せます。

完全な共同体になると、その「◯◯の命運」が「自分の命運」に直結するため、◯◯に対して反対意見や改善点を見出すことが出来るようになります。例えば、ポケモン対戦が僕の生活に直結するようになれば、自分のパーティ構築や対戦内容を本気で吟味するようになります。それは愛とも言えます。拘泥や執着は都合の良い部分しか見ていないので恋に近いです。

愛よりも恋のほうが気楽です。楽です。特に背負わなくてもいいので、ライトです。自分の都合の良い情報しか切り取らないので、情報としても軽くて真剣味がないんですね。

すべてにおいて同一化する必要はありませんし、ほどよく距離感がある好きで楽しめるならいいのですが、そこに執着が生まれて他者を攻撃するようになると注意が必要かもしれません。

「チョコレートが好き」と「チョコレートを売らなければ死ぬ」という状態はチョコレートに対する客観性のようなものがありますが、「チョコレート以外は認めない」という状態になると危険よねって話です。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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