特定のイレギュラーに対して、思考を定着・固定させたい場合「言語化」という手段が行われてきました。
キャラクターや物語など「理由」や「理論」を設けて、固定させる手法もその1つです。
数字やシンボルもその1つで、イレギュラーを固定化させる方法の1つです。
一言で言うと、全ては「混沌対策」と言えます。不安や恐怖への対策です。
固定化(自己との分断)することで「共有」が可能になり、不安や恐怖の緩和へとつながります。
しかし、もう一方で「混沌をそのまま受け入れてみよう」という方向性も存在します。
種々の占いを大きく分けると「混沌を固定化させようとする方向性」と「混沌をそのまま捉えようという方向性」があります。
分かりやすいところで言えば、「不規則な動きをしている星がいる」というイレギュラーに対して、前者は「占星術」という形で発展し、後者は「天文学」や「科学」という形で発展しています。
もちろん後者の中にも数値化・データ化といった可視化による混沌対策が行われていますが、混沌の取り扱い方針が根本的に異なります。
例えば、交通事故が多発する交差点があったとします。
その交差点の周辺に住む人たちはその交差点に対して「恐怖」や「不安」を感じます。
この時に、問題解決よりも「なるべく早く恐怖や不安を解消したい」という気持ちが先走ると「混沌を固定化させようとする方向性」が働きます。
「交差点には3年前に死んだ猫の呪いがかかっていて…」
「魔の交差点」
といった、ラベリングによる固定を行います。
こういった言語化や理由付けで安心が得られ、不安を解消できるのであれば、それはそれでOKです。この方法は非常に省エネルギーで済みます。一言で言えば「楽なこと」です。
「イメージ」を使った「混沌対策」と言えます。
「混沌をそのまま捉えようとする方向性」は、まず交通事故が多発している事実を受け止めます。
おそらくですが、イレギュラーを受け止められない人が前者の「イメージを使った混沌対策」を講じるのだと思います。
「うちのお店の売上が下がっている…」という受け入れたく無い事実に対して「これは政治が悪いからだ」とか「生年月日から見ると私の運気が悪いからだ」と言った何かしらの仮想イメージを作り出すことで、それ以上売上低下の理由を追求しなくてもいい…という防衛本能だと思います。
それで実際に売上が下がっているという状況が解消すれば、それに越したことはありません。何かしらのイメージを固定することで行動や思考が変化し、改善する方向に向かうこともあるからです。
山登りで心がくじけそうになったときに、仲間たちから「大丈夫だよ、頑張ろう」と声をかけられて山を登り切ることもできた…というような話もありますし、逆に言葉によって責め立てられて自殺へ追い込まれる人もいます。
イメージや言葉には、命にも影響を及ぼす力があります。
しかし、こういった言葉を無視して事実のみに特化したものが科学です。最近は「論文」や「権威」が一人歩きしており、イメージの力が強くなっていますが、実際は「混沌をそのまま捉えようとする方向性」が科学です。観測主義的とも言えます。
交通事故が多発する交差点があれば、起きやすい時間帯や条件を掴もうとします。本来は事実や観察の積み重ねから「理論」が生まれるのですが、理論というイメージが一人歩きしてしまう場合もあります。他の交差点でその理論が通用するのかは本来は別の話なのですが、楽をしたいときは理論が役に立ちます。
種々の占いを紐解いていくと、たまに「これは占いの皮を被った科学では?」というものも出てきます。ファクトベースで実験則や経験則を蓄積しているものです。
占いの分類方法は様々ですが、僕は「混沌を固定化させようとする方向性(混沌分断系)」と「混沌をそのまま捉えようという方向性(混沌受容系)」の2つに大きく分けた方が整理しやすいと考えています。そして、ここには東洋も西洋も無関係です。
そもそも、占いの歴史を紐解けば紐解くほど文化が混ざり合っているので、東洋系・西洋系と分けること自体がナンセンスです。僕にはその線引きがよくわかりません。なので、根本的な方針ベースで分類した方が体系化しやすいです。
そしてここでも注意して頂きたいのですが、「占術」ごとに括るとこれはこれで弊害が出てきます。
「手相占い」と一言で言っても使う人や状況によって「混沌分断系」と「混沌受容系」に方針が分かれます。
「占いの歴史研究」も同じです。
混沌分断系の場合、前提や固定化したイメージがあるので内容が偏ってきます。そして、多くの人がこの「混沌分断系」のファンタジーや夢のような話に心酔しますから、前者の方がいつの時代も圧倒的に大多数を占めます。
この記事で主張したいことは、両者の優劣を述べたいのではなく、何かを学んだり知り得る上で「混沌分断系」なのか「混沌受容系」なのか、という大きな括りでまず分類してみると分類が楽ですよ…という話です。
また、人間を観察する上でもどちらが優位な状態になっているかを見てみてください。
拙著「混化分化理論」で言うところ、左側が混沌受容系、右側が混沌分断系に該当します。
「占」という漢字の原義でもある「吉凶など特定の方向性に行動や方針を収束させる行為」という点では、大きな括りで混沌分断系に該当するわけですが、別にこれは占いに限ったことではありません。
分類すること自体ナンセンスだと思っていますし、このように言葉で説明している時点で、固定のパラドックスから逃れることは出来ないのですが、ご参考になれば幸いです。
にしけい