岩波文庫の易経も本当に最初はチンプンカンプンだったけど、今は物足りなさを感じられるぐらいになった。ゲームとかもそうだけど、やりこめばやりこむほど見えてくるおもしろさみたいなものがある。じいさんになっても一人になっても占いやってそうな気がする。
— にしけい (西田 圭一郎) (@nishikei_) October 5, 2021
周易2期の開講とともに改めて、周易の本を買い足し読み漁っているんですけど、周易の実践に踏み込んだ本って本当に少ないんですね。僕の感覚ですけど、150-200冊に1冊あるかないかってぐらいです。易経に沿ったお行儀のいい解釈・解説集みたいなものは溢れるほどあって、だいたい新刊で発売される周易本の99%がそういう本だと思います。けっこう期待して読むんですけど、やっぱりそれなりの出版社を通して出される本は大衆化されちゃっているから、いろいろ読み漁っている自分としては物足りなさしかなく「うーむ、またこういう感じか」という感じ。
これに関しては周易だけではなく、手相とか相術もそうなんですけどね。1-2万円ぐらいの価格帯でも「教科書の総集」みたいな本ばっかりで、全然踏み込んだ本がないんですね。「は?これ全部あの本とあの本の引用本やん」みたいな。誰かの孫請けの孫請けみたいなものをまとめた本を出して「ドヤッ」として「先生」とか「大御所」とか呼ばれているんですね。それで実際会って、占ってもらってみると全然だめなんですね。
そりゃあ先人たちの積み上げは偉大です。僕自身「全部自分のオリジナルの占いだ」なんて全く思えません。そんなことを言うのは失礼すぎます。だから、先人たちの叡智を調べてまとめて本にするのも大変かもしれませんし、それなりに価値はあると思います。でも、それで「ドヤッ」としたり、実占で踏み込んで研究する人を否定したりするのはなんか違うと思います。
「頭おかしい人」扱いされる実践者たち
実践(実占)に踏み込んだ本があれば大枚を叩いてでも手に入れるようにしているのですが、たまにワゴンカートで「すげー!これで500円でいいの!?」という本を見つけて興奮することもあるぐらい「踏み込んだ本」の価値ってなんか蔑ろにされているというか…。逆にほどほどの実占本でもめちゃくちゃ高いものもあったり。価格設定や扱いが謎なんですね。
易とか相術でもそういった(僕的には)価値がある書籍って本当に数少ないんですけど、どうも実占に踏み込んだ本を書いている占い師さんて「頭が狂ってる」とか「気ちが◯」みたいな扱いをされがちなんですよね。「あの人の本は意味不明だから」みたいな。
周易に関して言えば、教科書的な本が溢れる中、やっぱり実占していくと「全然ちゃうやん」ってことがいっぱいあるんですよ。「周易の言葉通り」になることもあることはあるのですが、やっぱり全然違うこともある。言葉にしてしまった時点で「生の情報」ではないので、解釈や認識の違いが生じてしまうのはしょうがないんですけど、実占家の占い師さんが「これは教科書とは違って◯◯かもしれない!」と自由に書いたダイレクトアタックしてくれるドストレートな本が「間違った本」とか「頭がおかしい人が書いた本」というレッテルを貼って無碍に扱うのは憤りを感じます。
僕は中身が小学3年ぐらいなので、そういう風潮に「バーカバーカ!」と心の中で叫び、このような記事を書いてしまうわけですが、しょうがないんですかね。そもそも「似たような本ばっかりじゃない?」と気づくぐらいまで本を読み漁る人自体があんまりいないのかもしれませんし、エネルギーとお金を使う人がいないのかもしれません。
それっぽい「虚」はたくさん転がってて、それを妄信するほうが自分で考えなくていいから楽っちゃ楽だし幸せなんですけどね。本音で「実際のところ」を話せる、書いてる人が本当に少なすぎるんですよね。どうしても「占い本」という風にくくっちゃうと選択肢や世界が狭まるので、一通り読み漁ったなーと思ったら、結局他分野の本とか経験が一番ヒントや発見につながるんですけど、やっぱりこじらせた小学生としては残念だなと思うわけです。(それでも新刊出たら買いますけどね)
にしけい