ルートや思考を具体化しすぎると身動きが取れず幸福感を得られにくい

 

 

 

 

ある一定の物事に対しての貢献仕方、影響の与え方って複数ルートがあるのですが

どうしても自分の生い立ちや自分が経験してきたことと似たルートを模範解答としてしまう風潮がありまして。

あとは社会の風潮や、自分の近辺の人々から得た情報を都合よく「模範解答」として採用してしまっているケースもあります。類は友を呼ぶですし、やっぱり世界が狭いとどうしても1つのルートに集約していまいがちです。

1つのルートに答えを集約した方が具体的ですし、効率的なのですが、この具体的な世界を少しでも楽にするためには一度、具体的な模範解答を捨てて「目的」という抽象的なものにもう一度立ち返ってみる必要があります。

これを「初心に帰る」と言ったりもするのですが、一度手に入れた模範解答(いわゆる軸や常識)を捨てるのはけっこう勇気が要ります。

具体の世界の住人になった場合、そこから新たなシステムやアイディアは生まれません。

「お腹が減ったらバケツに入っている魚を食べる」という固定的な解決策に頼るのは、ある意味楽です。思考・創造しなくて言い訳ですから非常に楽なのです。(八卦の坤は超具体の世界で、乾は超抽象の世界にあたります)

でも「お腹を満たすには」というより抽象ベースの世界にテーマを移さないと、バケツに魚がなくなったら途端にお腹をすかしてしまいます。

バケツに魚ではなくタコが入っていたら、そこでパニックや絶望を覚えるわけです。「なんで魚じゃないんだ!この生き物はなんなのだ!」とタコを否定し始めるわけです。

お腹を満たすという目的を果たすための方法は何でもいいのに、具体ベースの世界の住人になってしまうと、「それしか正解はない!」と言わんばかりに、ツブシが効かなくなります。

本当に方法は何でもいいのです。自分が楽しく生きていけるのであれば、極論何でも正解です。

にしけい

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