まだ行ったことがなかったのと、ちょっと見たいお墓があったので、ふらっと高野山に行くことにしました。
前日は神戸にいたので、新大阪駅→なんば駅→南海橋本駅→極楽橋駅→ケーブルカーのルートで移動しました。「けっこう近いでしょ」と軽く考えていたのですが、新大阪から3時間ぐらいかかったので、ちょっと笑ってしまいました。


日本にいながら外国語勉強できるよね
最近は本当に海外からの観光客が多くて、日本にいてもあんまり日本という感じがしません。英語や外国語を習得するために留学しなくても、観光業やホテルなど海外からの観光客が集まる場所で仕事をしていたら、外国語に慣れて習得できると思ってしまうぐらい、外国人が多いです。
高野山も平日に行ったのですが、電車に乗っているのはほぼ外国人観光客でした。
長く続くことに興味がある?
電車に乗っていて聞こえてきたのは、スペイン語、イタリア語、フランス語、英語…高野山についてからもヨーロッパ系の人たちが多かったです。都内や大阪や京都の「平地」や「行きやすいところ」には中国・韓国・アジア系の外国人が多いのですが、飛騨高山などちょっとマニアックな場所はヨーロッパ系の人、特に年配の方が多い気がします。
この違いは何なのだろうと、旅の途中にずっと考えていたのですが、高野山をまわっているうちに1つの仮説に至りました。それはヨーロッパ系の人たちは「成熟したもの」「長く続いているもの」「歴史深いもの」に興味関心が強いのではないか…ということです。
スペインのトレドを旅していたときにも感じたのですが、ヨーロッパには「古いものを大事にする」という考えが根底にある気がします。環境への取り組みにも先進的ですし、「長く続くこと」に興味関心が高い人たちが多いのかもしれません。
長期的視点と未来指向性
「今さえよければそれでいい」という現在指向型の人たちは、「歴史的建造物」や「昔から存在しているもの」に興味関心があるのでしょうか。あまりないような気がします。
「どうしてそれが長く続いているのだろう」という点に興味関心がある人の多くはおそらく長期的な視点をもっていたり、未来指向型の人たちだと思います。

実は僕もそこまで「歴史的建造物」や「昔から存在しているもの」に興味関心がありませんでした。しかし、占いをしている中で、お墓や家系を勉強を始めてから興味を持つようになりました。「長く続くもの」に興味をもつようになると、それにふれる機会が増えます。類は友を呼ぶなので、やっぱり「長く続くもの」が気になって見に行くと、そういったことに同じようにそういったものに興味関心を示す人たちが集まっています。
趣味嗜好は人の勝手なのですが、単純に「長く続くもの」にふれることで、その人の存在を「長く続く」方向に向かわせ、反対に「一時的なもの」に飛びつき続けると、その人の存在も一時的になっていくような効果があるのではないかなと考えています。
心理学者クルト・レヴィンという人が「時間的展望理論」というものを提唱しています。これは「人間は過去・現在・未来を心の中でつなげて、今の行動を決めているのでは?」という考え方です。
例えば、「この人は家づくりが天職だと思っている」「この地域で30年以上、家づくりに携わっている」という情報があったときに、「この人はアフターケアも長期間対応してくれるだろう」「責任をもって逃げずに対応してくれるだろう」という予想(信頼)が生まれ、この人物に家づくりという大きな仕事を依頼するようになります。
「今の職場環境が悪いから、とりあえず辞めよう」「今欲しいから買う」「今楽しければいい」という現在指向型の人物も緊急を要する場面では必要な判断軸だと思います。しかし、重要なことを依頼するような場面では、未来指向型・長期的視野をもつ人のほうが信頼を獲得しやすいのではないかなと考えています。
それは「一貫性」による効果もあるかもしれません。一貫性は「予測可能性」を生み出します。特定の範囲が限定されることで安心感や信頼感を与えます。「長く続いているもの」にも、一種の一貫性があり、一貫するためには何かしらの変化や対応(柔軟性)が求められますし、継続力も求められます。「長く続かせること」が難しいとわかっているからこそ、「長く続いているもの」の価値が理解できるのかもしれません。
一瞬の楽しみや輝きを重視する生き方や戦略が悪いわけではありません。花火のようにパーっと弾けて散るような生き方も、それはそれで人々の記憶に残るかもしれません。しかし、長く続くほうがチャンスや可能性が広がる…という考え方もあります。そして、チャンスや可能性が広がれば、無理なく「大きなこと」が成せるかもしれません。
高野山の旅はまだまだ続く!
にしけい