易と純度と無

易という占いがありまして。僕にとってこの占いとの結構大きな転機だったんですね。この易という占いは「占う人」の「枠」みたいなものがすごく如実に現れるんですね。仕組みがシンプルで、抽象的すぎるからこそ、占う人の「見ている世界」が問われるんです。アウトプットされるキーワードや導き出される言葉に、「占う人」が色濃く現れるんですね。同じ卦でも全然解釈が違うんです。抽象画を見て何を感じるかみたいな話なんですね。

人とか動物とか景色とか具体的なものが描かれていたら解釈はある程度収束していくんですけど、易は抽象画だからすごく広いんです。だからやる人によっては、右も左も分からなくて、もう何が何だかわからなくなって頭がおかしくなるんですね。笑

だからたくさん「ガイドブック」が出ているのですが、このガイドブック選びも結局占う人のセンスみたいなものが反映されるんですね。ガイドブックを読むことで枠が形成されるわけですが、閉鎖的で威圧的でエッヘンと偉そうなガイドブックもあって、それを信用したくなってしまう人の気持ちもわかるのですが、それはそれで「狭い枠」になっちゃうんですね。

 

無視できてはじめて見える世界

 

これは僕個人の感想ですし、もしかすると僕だからこのような感想を抱くのかもしれませんが、易のおもしろいところは、「質問を無視してくるところ」なんですね。「Aについて知りたいのですが」と質問されていても、「そんなことより、Bのことのほうが大事じゃん」と質問を無視してくるんですね。Bのほうが重要なのに、無理やりAについて答えようとすると、歪みが出るんですね。なんかおかしなことになって、結局ハズれるんです。でも、ちゃんと易が出た通りに「Bのほうが重要なんだ」と受け入れると、最終的に当たっていることが多いんですね。

易に関する書物も読み漁りましたけど、けっこう真面目な本が多いんですね。お行儀がいいんですね。でも、なんか死んでいるんですね。易は生き物なので、本に書いてあることは過去にそれを書いた人の時代では生きていたのでしょうけれど、「今」に合わせると死んでるんですね。占い全般、あえてアップデートされていなかったり、あえて閉鎖的にされてきているものが多いので、現代で活用しようとすると役に立たないものが多かったり、全然違ったりするんですね。

占いは何かに対する占い師側の反応だったりするんですけど、反応するときに「わざとらしさ」とか「エゴ」が入ると、なんかヤラセっぽくなって、不自然になるんですね。「今日はこういうリアクションをするぞ!」「この前読んだ本の通りのリアクションをするぞ!」と意気込むと大体失敗するか、しょうもない結果で終わるんですね。そればっかりはもう自分のせいなんですね。100%自分のせいなんです。

自分が納得するような美しい仕事が出来るのは数年〜年に1回ぐらいなんですけど、そういう自分をも全て無視したところから出てきた答えがスパーっと「通る」ようなときがあって。だいたいそういうのは易で占ってるときなんですね。

 

「問い」の純度

 

「問い」にも純度があって。すごく大まかに言うと、純度の高い問いはスパーっと通るんですね。全部「そうなるよね」という感じなんです。「問い」の純度を高めるためには、その人が本当に何を知りたいのかを吟味する必要がありまして。一番近いイメージとしては、服を脱がすような感じでしょうか。着飾る、着隠して誤魔化されているものを、全部剥がす必要があるんですね。この人は何が知りたいのか。どうしたいのか。なんでここにきたのか。なんでここにいるのか。メタ的に考えるんですね。感情移入とか同情とかが一番邪魔で、無意味なんですね。問いの純度が下がるので。

さっき「100%自分のせい」と書いたのは、この「問い」の純度を上げるための作業を怠ると、スパーッと通らないからです。卦を立てるまでもない問いもあるんですね。そんな状態で立てると、「お前、そんなんで俺を呼び出すなよ」と言われているような感じで何が何だかわからない結果になるんですね。

 

事実と無

 

卦に怒られて、現象に突き刺されて。僕には上司や先輩のように叱ってくれる人間はいないのですが、「事実」と「結果」が一番キツいお叱りをくれる存在だと思います。事実と結果。この二人は愛があります。エゴが入っていませんから。淡々と突き刺してくれます。一番信用できる二人です。

この二人の意見を視覚情報として反映しているのが、易の卦だと思います。質問者にも容赦無く突き刺します。だから、僕もエゴがあってはいけないんですね。むしろ僕なんかがその場に存在していないような状態で臨むのが一番ベストなんですね。占いにおいて「占う人」の存在が一番邪魔でノイズになるんですね。「占う人」の色なんていらなくて、何者でもないほうがいいんですね。

こうやって文章をワーッと書いたり、動画や講座ではたくさんおしゃべりしたりしてアウトプットしますけど、こういうアウトプットをしているからこそ、そういう場になったときに自分を消せるのかもしれません。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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