「外に出てよかった」という原体験があるから今もこうして何かを書いているのかも

僕が初めてインターネットにふれたのは小学6年のころだった。Internet Exploreの「ホーム」ボタンを押すと、Yahooが開く。文字を入力して検索ボタンを押すと、瞬く間に情報がバーッと出てくる。どんないきさつだったか忘れたけど、家にもバカデカいモニタのデスクトップパソコンが来たことをよく覚えている。ボロボロの家に少しだけそぐわない中古のパソコン。どこかの会社で使われていたらしくて、パソコンの本体とマウスはタバコのヤニで黄色くなっていた。確かWindows98だったはず。最初はダイヤルアップでインターネットをしていて、電話代が大変なことになって怒られた経験があるのは僕だけではないはず。

中学3年ぐらいでADSLになって接続が早くなったのを喜んだ記憶がある。高校1年になってhtmlの手打ちでホームページを作り始めた。Yahooジオシティーズで「あたって砕けろ」というテキストサイトを運営していて、ネットで知り合った見知らぬ人と交流もあったり。相互リンクしていた大阪在住の社会人女性(20代)がサイトに訪問してくれて、Messengerでやりとりをしてて、1〜2回電話した記憶がある。彼女は今は何をしているかわからないけれど、今考えるとあの人はショタコンだったのかもしれない。内輪ノリで運営していたホームページだったけれど、外の世界の人たちとつながるきっかけになっていたのは間違いなかった。

 

外の世界を知らなかったらダメだったかも

 

僕が住んでいた街はめちゃくちゃ田舎というわけではないけれど、今思うとやっぱりどこか閉鎖的な空気は漂っていると思う。僕が占いを始めてお金を貰い始めたころ、父親は「詐欺師、ペテン師、そんなことやめろ」と批判してきた。この前亡くなった祖父も亡くなる直前まで「昔の考え」を引きずるような人間だったから、彼が占いのこと知ったらもっと叱咤されたかもしれない。もしインターネットがなかったら、僕は閉鎖的な世界でもっと孤立していたかもしれない。自分を追い込んでいたかもしれない。

今こうしてあなたに文章が届いているのも、僕がこうしてなんとかお仕事をして暮らせているのも、インターネットがあったおかげだと思う。近くに味方がいなくても、遠くに理解してくれる人がいた。身内には非難されても、絶賛してくれる他人がいた。僕にとって「外に出る=楽しい」という原体験があったから、今があるし、その根幹を作ってくれたのはインターネットだった。

インターネットが当たり前になった現代は「ネットの世界」という「内側の世界」が形成されてしまったのかもしれない。ネットが当たり前になりすぎて、「外の世界感」が薄れているのかもしれない。それだけネットが普及して、みんなが使いこなせるようになった…ということなんだろうな。でも、やっぱりネットは「外の世界」だと思う。

 

空間だけじゃなくて時間も越える

 

僕が「いいな」と思う本は、だいたい理解されない場合が多い。「この人の本、すごくいい!」と思っても、周りには「よくわからない」と言われることが多くて、確かにそういった本は印刷された冊数も少なくて、普及していないものが多い。有名になれずに死んでいった人だろうし、もしかしたら誰にも理解されずに死んでいった人かもしれない。

だけど、そういった人の本を読んで、脳みそから温泉が湧き出るような「あ”あ”…いいこと書いてある…」と悦に浸ることがある。その瞬間は時間や空間を越えて、著者とひとつになれるような気がする。なんだ、僕と同じようなことを何百年も前に気づいて本に書いてくれていた人がいたんだ…。それがわかっただけで、孤独ではなくなる。現代を生きる身近な人とは理解し合えないことも、過去に生きた遠い遠い無名の誰かと理解し合えることもある。僕がインターネットを始めて救われたのと同じぐらい、「本」にはそういう力がある。

僕が書いた本も、もしかしたら未来の誰かに届くかもしれない。未来を生きる誰かの孤独を和らげる一助になるかもしれない。行き詰まった場面を突破する糸口になるかもしれない。1人でもいい。そういう人がいるのであれば、そうなる可能性が0%ではないのなら、僕はこうして何かを書き続ける価値があると思う。

AIの発展によって言語の壁も簡単に越えられるようになってきたし、ダイヤルアップとは違って今はWi-fiの普及で無料〜格安で素早く世界につながることができる。日本には理解者が少ないかもしれないけれど、海外にはいるかもしれない。モンゴルでテレビに出た時も、大半の人たちが「国から出ていけ」という雰囲気だったけど、テレビを見た人の中にはめちゃくちゃ感動してくれた人もいて、会いに来てくれた人もいて。

「外に出る」ということは怖いこともあるし、嫌なこともあるけれど、僕にとっては「希望」でしかない。ヒントやチャンスは必ず外にある。「外からやってくる」というよりは、「外に出たから出会える」という感じだと思う。生きづらさを感じたり、行き詰まっているときほど、外に出たほうがいいんじゃないかなと思う。

最近、電子書籍や本作りがすごく楽しい…というより、「すごく意義のあることをしている感」がある。自己満足かもしれないけれど、遠くにいる外の世界の人や時代を超えた人たちとつながりあえる可能性があるというのは、やっていてすごく夢があるなぁと思う。

小さな世界進出。未来の誰かに手紙を書く。これがこんなに手軽にできるのは、本当に有り難すぎる。

にしけい

▶︎ブログ記事一覧へ

関連記事

書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

無料メルマガを読んでくださっている方の手相を解説する企画です。まずは1000人の手相を解説します。Youtube手相談室で解説しています。

月に1〜2回ゆるっと配信しています。お知らせや占いに関するトピックを書いています。

記事カテゴリーで検索

 
お買い物カゴ
上部へスクロール