何事も非言語化領域に達してからが勝負

何でもそうなのですが、非言語化領域に達してからが勝負なんですね。

何とも言えない、説明できない、拙くなる、言葉にならない。

ここに達するには引き算が必要になる。

引き算の結果、何が残るのか。0に近づくほどギリギリまで引き続けることで「色」は際立つ。

真っ暗だからこそ星は輝いて見える。闇のおかげで光ることが出来る。

足し算をするとよりよく分からなくなっていく。分化された情報を集めて、それをさらに細分化して分類していっても何も分からなくなる。でも、そこに混沌があるなら希望がある。言語化できない何かが見いだせるほどインプットできたなら光が見えてくる。

中途半端な足し算ではより分からなくなる。中途半端なインプットだと何も掴めない。体験的な混沌も含めて限りなく0に近づく、無と闇に近づけば近づくほど方向性がはっきりする。それは魅力や色気にも通じるものになる。

「形容しがたい体験」非言語化領域まで足しまくるか、引きまくるか。どちらも全ては混沌のため。電気を消すため。部屋を真っ暗にするため。よく見えないほうがよく見える。

何でも非言語化領域に達してからが勝負なんです。入り口は違ってもそこに向かうんです。未知。体験。無。分からない世界。説明できない世界。どう見てもそう。それこそ理論なんかありません。非言語化領域に突き進むんです。辿れば辿るほど、言葉にならないはずなんです。でもそのギリギリの残滓にこそ色気と魅力がある。魔性がある。

 

全然難しい話じゃないですよ。特別な話でも何でもないんです。

それに気づくか、認めるかだけの違いだけであって、みんなもうやってますから。

そういうことです。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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