「聞かれていないことを話し出す人」の傾向と自己防衛のすすめ

コミュニケーションにおける集中力と事件と自己防衛の話。

ドラクエをしていてたまに強制イベントで、村に入ったとたん村人たちが突然話しかけてくる場面などがあります。これはイベント(事件)のきっかけとなるので、ストーリーを進める上では必要です。しかし、そうではない場面で突然村人が主人公たちに話しかけてきたり、武器を売りつけようとしたりすると、それはもうバグとしか言えません。

「質問」や「話しかける」という行為が発生した上で「返事」があります。例えば、「明日の天気はどうなりそうでしょうか?」という質問があってはじめて「明日は晴れそうですよ」と返されるわけです。しかし、たまに何も聞いていないのに「明日は晴れそうですよ」と言われる場面があります。先ほどのドラクエのバグと同じでこちらが求めていない情報にもかかわらず、相手が「この人にはこれが必要だろう」とか「これを話したほうがいい」と勝手に決めて情報を投げかけてくるわけです。これは飲食店で頼んでもいない料理が運ばれてきたり、突然注文していない商品が家に届くようなものです。ある意味「事件」なわけです。こうした事件がきっかけで何かが起きたりする場合もあるのですが、やはり求めていないものが提供されるのは強引というか独善的にも見えるかもしれません。

なぜこのような話をしているかというと、占いにおいて「好奇心」「知りたい気持ち」というものが強い方が当たる…と僕は考えているからです。依頼者の方の緊急度や知りたい気持ちが強いほうが、占いはより的確な答えを返してくれます。占いの出力結果は占い師自身の力量だけではなく、依頼者の知りたい気持ちが関数に組み込まれます。(実際占い師自身の力量というのは0.8-1.2ぐらいの係数に近いかもしれません)このときに「何が知りたいのか」を吟味する集中力が求められるように感じます。

呪術廻戦という漫画に狗巻棘(いぬまきとげ)というキャラクターが出現します。彼は普段「おかか」「しゃけ」といったおにぎりの具でしか会話ができません。しかしいざ敵と対峙すると「動くな」とか「止まれ」といった言葉を発して相手の行動に制限をかける呪術をかけます。これは普段おにぎりの具でしか話さないという「縛り」があるため、それ以外の言葉の呪力が増す…という設定のようです。(違っていたらすみません)

何が言いたいかというと、質問されていないことを話してしまう傾向がある場合「何を求められているのか」ということに対して集中力(呪力)が損なわれている状態と言えます。これは占い以外にも日常のコミュニケーションにおいても重要です。円滑なコミュニケーションを進めるためには「何を質問されているのか」「そもそも自分が何かを答える場面か」「関係のないことを言っても許される関係性か」を見極める集中力が必要です。

一般的に「洗脳」というものは人間がボーッとしているときに「これいいですよ」と勧められる「それ良いですね」と思ってしまうそうです。テレビを見ているときとか、ボーッと動画を見ているときとか、そういうときに流れるCMは集中力とは無縁の「関係のない情報でも許してしまう状態」であり、洗脳するには効果的なのだそうです。つまり「相手にとって必要な情報かどうか」を吟味しない、質問をされていないことを話してしまう…という状態は、自分がキャッチする情報に対しても吟味しない、洗脳にかかりやすい状態が続いていると考えられます。求められていないものを提供するという行為は、鈍感で独善的なだけではなく自分自身洗脳に陥りやすい危険な状態だと言えます。

占いにおいても「当事者に質問されていないことを占う」という行為は「知りたい気持ち」が発生していないのに、答えを返すことになります。なので集中力が弱く、答えもぼんやりします。例えば「今日の占い」「今月の運勢」という感じで発信される情報は、街でティッシュ配りをしているような感じです。Twitterなどで「こんな人はこういう傾向」みたいなツイートは、街を歩いているときの騒音(ノイズ)に近いものです。これらは受け手側が取捨選択できます。

問題なのは街で突然話しかけてくる人です。冒頭に紹介したドラクエの村人のようなパターンです。こちらが「○○について知りたいです」と投げかけた状態で返される返事(占い結果)であれば良いのですが、そうではない場合事件や迷惑でしかありません。もちろんそういったことがきっかけでドラマやも思わぬ可能性が生まれることもあるので、決して百害あって一利なしとは思いません。しかし、突然自分が不必要なものを自分あてに送られてくると驚きます。こういう仕事をしているせいか、占い関係の本を出版された方が読んで欲しいと事務所のほうに送ってこられることがあるのですが、正直不要です。というかその時点で「この人の占い(コミュニケーション)はどうなのだろうか」と怪訝に思ってしまいます。

決して情報発信することが悪いとは言っていません。どんどんして欲しいと思います。ティッシュ配りも欲しい人は受け取ります。しかし「求めていない人」に対して「これが必要だろう」と決めて投げつけるのはいかがなものでしょうか。「何を求めているのか」を吟味して集中することは、自分が不必要な情報を受け取らないように、自己防衛することにもつながります。特定の誰かに何かを送ったり、提供したりする際に、それが果たして本当に求められているものなのだろうかを考える必要があります。

小学生のころ九九を習ったとき、それが言えることが嬉しくて家で誰かれ構わずに向けて九九を言っていた気がします。よく考えたら、九九なんて僕より年上の家族全員知っていますし「不必要な情報」です。しかし、それを習ったときの嬉しさや「優越感」のようなものを感じたくて九九を言っていた気がします。もしかしたら、聞かれていないことなのに話し出してしまう人は「純粋」なのかもしれません。悪く言えば、流されやすく、洗脳されやすい状態と言えますが、子どものようにピュアなのかもしれません。そして、不必要な情報でも「そうかい、九九が言えるようになったんだね」と聞いてくれた家族がいたから今も「自分が話すことはみんな価値があると感じてくれている」と考えられるのかもしれません。そう考えると、非常に家族や友人に恵まれた人生を送ってきた…逆にその点を指摘してくれる人がいなかった…という風にも考えられます。いかんせん褒められたい、認められたい、承認欲求が背景にあるのかもしれませんね。というこのお話もあなたが「聞きたい」と思った話ではないかもしれませんが、お付き合い頂きましてありがとうございます。僕は恵まれているのだとつくづく思います。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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