最近はお知らせとか告知ばっかりブログに載せていて、自分でブログを眺めていて「なんか人間味ないな」と感じていまして。
メルマガを申し込んでくださる方々も「有益な情報」よりも「役に立たない情報」を求めてくださる方が非常に多くて(ほぼ100%)。
なんというか、にしけいポン読者層はこんな個人の思考の垂れ流しをおもしろがってくださる、心に余裕のある方が多くて、本当にありがたい話です。
自分の思考をまとめるためにも、最近自分が考えていることを書いてみます。
教えてくれる人のありがたさ
最近は、というかこれはずっとなんですけど、やっぱり占いについて考えたり、調べたり、まとめたりしています。
新たな占術を取り入れようと「習いにいっていいですか?」とか「教えてください」と、お願いすることもあるのですが、けっこうな確率で断られます。悲しいです。
理由は怖いそうです。何を言われるかわからない、どんなツッコミがくるかわからない、よくわからない、といった理由から断られることが多くて
あんまり言ってないですけど、けっこう教えてもらおうとアプローチをかけて断られる案件が多いです。
教えるって確かに自信がないうちは怖いかもしれませんが、僕自身も生徒さんから「あ、そういう見方あるのか!」という質問やツッコミをもらい「教わりながら」やってきたので
僕のようなツッコミたがる人間を拒否するのは損だと思うのですが、それもまぁ人それぞれなので
今はこんな僕にでも快くいろいろ教えてくれる人との交流を深めていこうと思っています。
哲学と無駄なこと
最近はお墓と骨についてまた考えています。
なんでもそうかもしれませんが、占いは「いかに哲学したか」によって理解度が変わります。
その際に邪魔になるのが「吉凶」の考え方です。
このブログでも何度も取り上げているように「吉凶」はある一定の立場が定まらないと発生しない、いわばポジショントークです。
これがあることで事象や法則をフラットに観察できなくなります。そしてそこで哲学は止まってしまいます。
吉凶善悪は何かひとつを掘り下げる上では「ノイズ」でしかなくなります。
「だめ」「よい」というラベリングをしてしまうわけですから、粒子化(固定化)しちゃって他の可能性がなくなってしまうのです。
なので、まず今はそもそも「お墓って何なのか?」「骨って何なのか?」というテーマで様々なお墓や骨に関する情報を集めています。
幅広い情報を集めることで、そこに普遍的な法則が見えてきます。
例えば、今はいろんな国のお墓事情について調べています。どんな宗教や文化(生死観)をもったら、どういう埋葬方法になって、どういうお墓になる…お墓の形態と思想(物質と精神)の結びつきを念入りに吟味しています。
どうしても「墓相」というキーワードで括ってしまうと、「吉」とか「凶」とか「墓相」という概念がある国や文化に限定されてしまうので、一度墓相そのものから少し離れて考察しているというわけです。
なんでもそうですけど、少し距離をおいた方がそのものがよく見えたりします。ピントが合うというか。
けっこうみなさん「掘り下げる」というと、そのものを超近距離で凝視するようなイメージがあるかもしれませんが
実はいろいろよそ見することも、掘り下げる上では大事です。柔軟に幅広く。
人間は一度経験したことは必ずどこかに記憶されているので、経験したあとに一時的に忘れることはありますが、必要なときにその情報を呼び起こす機能があるのです。
なので「知りたいこと」に向かい続けている限り、いろんなものを見たり聞いたりして、その瞬間は忘れてしまっても、あとになって「あ、そういえば」と点と点がつながって線になることもよくあります。
なので、少しでも興味があるとかおもしろそうと思うものにはなるべく触れておくようにしています。
「無駄なこと」を「無駄なこと」で終わらせてしまうのは、自分だったりします。
わかりやすさと理解度
本当にそのことについてよく理解している人は、話がわかりやすい。
ごちゃごちゃと難しい言葉を使う人ほど、よく理解していなかったりします。— にしけい/Nishikei (@nishikei_) 2019年7月10日
いろんな方と情報交換している中で、専門用語を並び立ててまくしたてるように話す人がいます。
それで、ある特定の言葉について「それって何ですか?」と聞くと、より曖昧な言葉でかえってきたりして、よりわからなくなる現象があります。
あとは、すごく長文でメッセージがきて「つまりこういうことですか?」と2行ぐらいでまとめて返すと「そういうことです!」と返ってくることもよくあります。
「まとめる力」って文章力じゃなくて「理解力」だと思います。
まとまっていない文章や一見するとすごいこと言ってそうだけど無駄によくしゃべる人って、そのことについてよく理解できていなかったりします。
より抽象度の高いフェーズで理解していれば、具体的な表現を無限に生み出すことができます。
なので、深い理解がある人ほど相手に合わせた「例え話」をすることができます。
これは僕もそういう部分があるので注意しなければいけないと思いつつ、こんなことを書くから「弟子入りお断り」されるんだろうなと思ったりもします。
ユニクロの異常性
アパレルを始めると意気込んで1ヶ月が経ちました。
おかげさまで今のところ、赤字にはなっていません。ごくごくわずかですが黒字です。
アパレルを始めたことで、今まであまり深く追求していなかった服やファッションについて調べているのですが
その中での一番の発見は「ユニクロの異常性」です。
品質と価格と教育。ユニクロはこの部分が他のアパレルに比べて異常です。
システムの作り込みからマーケティング戦略まで、さすがというしかありません…
アパレルの「ア」の字も知らないようなこんな小僧でさえそのヤバさが理解できるほどですから、どっぷりやってる人たちはもっとその異常性を理解されていると思います。
価格を下げるには量産するわけですが、量産する以上、売らなければなりません。つまり捌け口、アウトプットが強烈だからこそ、より高品質でかつコスパのよいインプットができるができるわけです。
これはアパレルとか関係なく、やっぱり「アウトプット」が優位の方がいろいろと得るものが多いことの証明だと思います。
よく「アウトプットが苦手」という人がいますが、アウトプットの方法を工夫・模索した方がいいと思います。
あと「苦手」という人は、そもそもアウトプットの試行錯誤の回数が少なすぎます。
ほとんどやっていないだけなのに「苦手」にカテゴライズして諦めているだけです。才能じゃなくてやる気の問題だと思います。
で、やる気がない人のところにはいつまでたっても何も入ってきません。
ユニクロの真のすごさはおそらく「試行錯誤の回数」なのだと思います。
にしけい