もうすぐお盆ですが、お墓参りは行きますか?
いろいろと墓相の勉強・研究をしておりますが…
もしあなたのおうちにお墓があるなら、断然お墓参りには行った方がいいです。
その理由は、自分の存在確率を上げるためです。これに尽きます。
この記事でも書きましたが「時間」というものは粒子であり、実は「今」しかなくて
原始人がいたころも、豊臣秀吉がいたころも、あなたがこのブログを読んでいる今も、すべてつながっていて
「過去」「未来」は存在しなくて「今」しか存在しないということなんです。
と、過去・未来という言葉を否定してしまうと
ここからの説明がしづらくなるので、形式上従来の「過去」「未来」という言葉を使わせてもらいます。
あなたの「原因」を濃くすると「結果」も濃くなる
あなたは今なぜ「存在」するのでしょうか。
それはあなたの両親を始め、あなたの先祖が存在したからです。
「先祖」は過去であり、原因です。
あなたは先祖から見ると、未来であり結果です。
しかし、世界は曖昧で不安定です。
「あなたの祖父母がこの世界に存在していたかどうか」も、本当は曖昧かもしれません。
存在していたっけ?存在していなかったっけ?あれ?どっちなんだろう?
あなたの祖父母の存在確認が曖昧になった(忘れられた)場合、その祖父母の子孫であるあなたの存在自体も曖昧になります。
ましてや、あなたに子どもがいた場合、その子どもも存在できなくなる可能性があります。
これは飲食店の注文に例えるとわかりやすいです。
あなたは、スタバに行ってカウンターで「抹茶クリームフラペチーノ」を注文しました。
そして、商品受け取りカウンターまで進み、フラペチーノができてくるのを待ちます。
しかし、5分、10分待っても「抹茶クリームフラペチーノ」は出てきません。
ここであなたは心配になるはずです。
「あれ?さっき、ちゃんと注文できたかな」と。
財布に小銭と一緒に入れたレシートを探し出す人もいるでしょうし、カウンターの店員さんに声をかける人もいるでしょう。
そうなんです、この確認行動こそが「お墓参り」なんです。
あなたが「抹茶クリームフラペチーノを注文した」という過去が曖昧なのと同じで、あなたの祖父母が存在したのも実は曖昧なのです。
それを「はっきりさせる」のがお墓参りなんです。
過去の事実や存在をはっきりさせないと、過去と現在と未来はつながっているため、あなたの存在もはっきりしないものになってしまいます。
「自分が存在する原因が存在していたことを確認する」ために、わざわざ長い間、形を変えずに存在できる「石」を使うのです。
あんなに立派に形として残っていたら「おじいちゃんは存在していなかった」と否定するのも難しく感じませんか?
お墓はスタバでいうと「レシート」のようなものなのです。
レシートがあるから「注文した」ことを実感できるのです。
レジで注文したあとに「抹茶クリームフラペチーノの注文受け付けました!」と彫り刻まれた石を渡されたら
「ああ、自分は注文したんだな」と強く実感することができるはずです。わざわざ、店員さんが手で彫ってくれた石のレシート。これで「注文していません」とは言わせません。
逆に、あなたの先祖のお墓が石ではなく「アイスの棒」で出来ていたら、どうでしょうか。
誰かのイタズラで土に何か刺さっているのかなと思って素通りしてしまうかもしれません。そもそも「あなたの」先祖かどうかも怪しくなります。
ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、最近流行りの「樹木葬」がなぜ墓相的には良くないかという理由もここにあります。
「お墓」は「あなたが存在してもいい」と強く思い込むための「人類が生み出した工夫」なのです。
なるべくならお墓参りに行って欲しいけど
あなたとあなたの未来を濃くするためにも、あなたの原因である存在の濃度を高める必要があります。
なるべくなら、お墓参りに行って、きちんとフラペチーノを注文してきて欲しいのですが
どうしても行けない場合は、何かしら自分なりに「フラペチーノを注文した!」と実感できる儀式を行ってくださいね。
儀式。それは、祖父母の写真を眺めることかもしれないし、お墓がある方角に軽く会釈することかもしれません。
生きているなら、自分の両親や祖父母と美味しいものを食べて、楽しくおしゃべりすることもいいでしょう。
「うちはきちんとしたお墓がないよ」
「どこのお墓にいけばいいかわかんないよ」
という方がいらっしゃいましたらご相談に乗りますので、お気軽にお問い合わせください。お墓は本当に大事です。
未来のヒントは「今」にある
僕たち占い師は、未来を予測するために「今」存在している情報を使います。
未来がすでに決定しているなら、そのヒントは今にあるはずなのよね。
— にしけいポン(Nishikei Pon) (@nishikei_) 2017年7月28日
「あなたの未来がどうなるか?」のヒントは、すでにたくさんそこら中に転がっています。
そして、自分がこうなりたいという未来があるのなら、そうなるように今、行動する。ただそれだけです。
あ、そうそう
僕は抹茶クリームフラペチーノより「ほうじ茶ラテ」の方が好きです。
え?どうでもいいって?
でも、大好きな「ほうじ茶ラテ」が飲めなくなった悲しいから、こうやって「ほうじ茶ラテが存在すること」を書いておくのです。
みんなも、ほうじ茶ラテのことを応援してね。
そして、スタバに行ったらこの話を思い出してね。
にしけい