手相のご相談を頂く中で、どうしても「なぜこの手相になったのか?」を辿りたくなります。
手相から読み取った情報をただ伝えて「気をつけましょうね〜」と注意を促すだけでは、無責任な気がして、どうしても「どうしたらいいか?」の部分を解明したくなります。(お客さん以上にお客さんの手について興味が湧きます)
で、その原因を辿っていくなかで、どうしても「家相」「方位転居」といったファクターが絡んできまして。
お引っ越しや家相的なアプローチで解決策をご提案させて頂いておりますが、掘り下げていくとどうしてもハズせない要素に「墓相」が浮かび上がるケースが結構あります。
手に線が刻まれるって本当はとてもすごいことで、手相は家相(地相)・墓相と共通の情報が浮かび上がってきているところを見ると、環境が手に線を刻み込んでいるようにしか見えない。手相⇔方位⇔家相⇔墓相とつながり、九星盤と干支が「そうなるでしょ」と後押しする。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) 2018年11月16日
まるで、お墓がその人たちの家や手相を決めているかのように、お墓には厳重に絡みついた因縁めいたものを感じるのです。
例えば、恋愛や結婚ができないとか夫婦関係がうまくいかないといったことも「お墓の範疇」だったりする場合もあります。
「やったらいいじゃん」と思ってたけど、どうも「ときめかないようにする」因縁が働いている場合、やる気そのものが途絶させられるパターンがあることが最近わかってきました。「やる気がないようにする因縁」みたいなものがあって、これを解除する行動まできっちり提示することが僕のお仕事なのかも。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) 2018年11月16日
もちろん「お墓のせい」じゃないこともたくさんあるのですが、お墓の効能を知れば知るほど「ちょっと無視できないな…」と言わざるをえなくなってきます。
何のためにお墓を建てるのか?
我が国の墓相に関する文献の最も古いのは、かの厩戸皇子すなわち聖徳太子が、河内の科長(しな)の墓を造らるる時に、御自ら工事の指揮を任ぜられ、その霊魂が再現出来ぬよう又子孫が続かぬよう、特に子孫断絶の相の墓を造られたことに関するものでありまして(以下略)
「墓相と家運」(今井鴻象)より
お墓を建てる目的
それは、自分や自分の子孫の生存確率を上げるためです。
過去の統計から見出された法則通りのお墓を建てると生存確率が上がります。
また、上述した聖徳太子の例のように、絶対に生存確率が上がらないようにするお墓もあります。
それぐらいお墓は強烈です。
その根幹をなすのが「存在濃度」の考え方です。
「時間がなくてもお墓まいりに行っておいたほうがいい理由」にも書きましたが、お墓は自分の存在濃度を上げるための「証拠物」です。
なので、樹木葬・散骨といった方法で先祖を葬ると、物的証拠としての役割が薄いため自分や子孫の存在濃度が下がります。
永代供養や最近よく広告などで見かけるハイテク集団墓地なども同じで「証拠として弱い」ものは、自分の濃度を高める効果は薄いです。
このあたりは時代やテクノロジーが変わりVR墓地とか、体内埋め込み型墓地などの「刷り込み力」の強いものが出てくるかもしれません。しかし、現段階では普通にお墓を建立した方がコスパがいいように思えます。
お墓がない&お墓にほとんどふれていない「証拠が弱い状態」というのは、地球上で肉体を保持し、子孫を続かせにくい状態を作り出すため「生命力」や「生活力」などにも影響してきます。
お墓がないと、これらのエネルギーが少しずつ弱っていくようなイメージです。
相術全般で「ときめいてもらっては困る因縁」が働いていることを感じることがあるんだけど、でも本人もそれをどこかで欲している節もあるんですよね。諦める理由というか。なんか本当に需要と供給な気がする。でも相談にきてくださるということは、おそらく変わりたい欲の方が強いのかもしれない。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) 2018年11月16日
また、「子孫を残さなくてもいい」という考えから、恋愛感情が薄まったり、異性を求めなくなるわけです。
あとは結婚したあともお子様を授かりにくかったり、お子様と死別されたり…というケースも出てきます。
初めから子孫を残す気がないという状態であればまだ気楽かもしれませんが、先に子が逝ってしまうというのは、同じ子をもつ親としては非常に胸が痛みます。
一度手にしたものを失うというのは非常に精神的なダメージが大きいです。
そういった意味では配偶者が早死にするケースも辿っていくとお墓に原因があったりします。
子孫を残させないようにする因縁がどうしても残っていると、どうしても何かしらの現象が起きてきます。
これらの原因を突き止め、解消していくのが「墓相学」の役目です。いろんな相術がありますが、僕の中で墓相の奥深さと重要度は増す一方です。
墓相はとっつきにくいし、そう気軽に取り扱えるものではないので墓相研究者自体少ないのですが、本当はもっと研究する人たちが増え、国内での認知度が高まってくれればいいなと思っています。
人口減少・セックスや恋愛は死語に?
ここ10年以内に「お墓問題」はもっと激化・深刻化しそうです。
「うちのお墓どうするの?」
「そもそもうちのお墓ってあるの?どこにあるの?」
「霊園に行ったけど、自分の家のお墓がどれかわからなかった」
「子供達に墓を残すのは面倒だと思い、デジタル納骨堂の予約をしてきました」
という具合にお墓離れは進む一方だと思います。
新しいものが生まれては消えるスパンがどんどん早くなっているようにも感じます。エントロピーが非常に高いというか、分散していくエネルギーが高まっているというか…。
まだ21世紀は始まったばかりなのに「世紀末感」が年々強くなっているように感じます。
これも時代の流れなので、これに順応していかなければなりませんし、そのなかで「お墓」は必要がなくなるのかもしれません。
このペースでお墓がなくなっていくと、先述したように人間の「恋愛感情」「結婚願望」「交わりたい・ときめきたい」という気持ちが薄れていくのではないかと思います。
ソーセージやハムが何からどうやってできているかわからない子供が増えているように、我々人間の肉体がどのように何から生まれたかわからない大人が増える時代もくるかもしれません。
「人を好きになる」という必要がなくなっていくのですから、他者や異性を求めるということ自体に興味が湧かないのです。
もしかしたら、セックスや恋愛をする人たちが制限されるかもしれません。「あの人は子孫を残すための個体」といった具合に「まじわり」を役割としてしか捉えられない時代がくるかもしれません。
今を生きている我々にとって、それは「恐ろしいこと」かもしれませんが、未来の子供達にとっては「当たり前」になっています。
お墓の機能や目的を理解し、どう活用していくかは人それぞれです。
刹那的に生きるのであればそれはそれでいいですし、もしかしたら肉体や子孫は残らないけれど情報として永遠に生き続けられるのであれば子孫やお墓は必要ないかもしれません。
この時代の過渡期にひとつの占いがどう変遷していくかを見ることができるのは、僕個人としては非常に楽しみでもあります。
地球のこの面白い時代をなるべく長く観察するためにも、僕はお墓をきちんとしようと思います。
にしけい