「死」を遠ざけるということは「死」に何か大事なことが隠されている

 

「すごすぎること」

「大事なこと」

ほど、人間は独り占めしたくなります。

すごすぎる情報は一部の人間のみが認知していて

「もふふww知らない人たちバカだなぁww」とか言いながら

優位に立っていることに優越感を感じて生きている人たちもけっこういるわけです。

 

「もふふww」とか言っている人たちは

他の人たちにその「すごいもの」を知られないように考えます。

 

つまり、隠すのです。

 

どうやって隠すのか。

 

1. ないことにする

2.あるのだけれど「危険なもの、悪いもの」として遠ざける

 

今回注目したいのは「2」の方です。

「そっちに行くと危ないよ、怖いよ」と教えて近づかせないようにするのです。

「占いの研究している人」ってかなり秘密主義者が多いのですが、この技法を使って技術を隠している人も多いのではないでしょうか。

だから気学の「歳破」や「暗剣殺」って実際はどうなの?って気持ちがウズウズしたりね。

 

 

「死後の世界」の秘密

 

それはさておき。

ほとんどの人間が怖れているものに「死」というものがあります。

経験者からちゃんと話を聞いたことがないにも関わらず「怖いもの」として扱われておりまして。

「食わず嫌い」ならぬ「死なず嫌い」な世の中になっているような気がします。

そのせいか、死につながる「病気」や「事故」なんかは、誰もが気になるテーマでもあります。

最近は「目の前で人が死ぬ場面」を見せないようにしているような風潮すらあります。

遠ざけられる「死」という世界。

何か「すごい秘密」があるような気がして、とても興味が湧いてしょうがないです。

(死にたいとかじゃないです)

 

愛犬の死がクンダリニーの覚醒に?

 

僕は過去に一度か二度「クンダリニーが覚醒した」という感覚を得たことがあります。

それが本当に「覚醒したのか」と問われるとよくわかりませんが

「覚醒した」という人々の証言と同じ体験をしたので、覚醒したと僕は認識しています。

 

瞑想とクンパカを繰り返していたのですが、尾骶骨のあたりから温かいエネルギーの上昇が感じられ

謎の多幸感に包まれて、僕はなぜか涙を流していました。

 

そのときの瞑想に入る直前に、実家の母から「愛犬が死んだ」という知らせがあったのです。

僕が小学3年のころから可愛がっていたラブラドールでした。16才ぐらいまで生きました。

彼の存在と「彼の死」を慰めるような気持ちで瞑想に入りました。

「フランダースの犬」のクライマックスのような幻想的なものではなかったのですが

なぜか彼の存在がパーっと身体中に広がるような感覚になり、初めてクンダリニー覚醒の感覚が得られました。

「愛犬の死」と「覚醒」が関係しているかはわかりませんが、何かきっかけになったような気もします。

「誰かの死」によって何かを得る人もいます。もちろん失う人も。

それぐらい「死」というものは強力なのだと思いますが、だからこそ「きちんと付き合うこと」ができれば

「死」というものがもっと別の「すごい機能」をもつ気がしてならないのです。

 

「すごすぎること」

「大事なこと」

ほど、隠そうとする。恐怖として認知させる。

 

「死」について研究の余地、大ありです。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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