家系図を眺めていて、「祟り」とか「怨念」とか「霊障」といったことが原因だと決めてしまったほうがすごく楽なんだけど、丁寧に紐解いていくと、「これって情動システムの進化過程による現象なのでは?」と思うことが結構あります。特定の個体が特定の場に適応しようとして、何代かあとに適応の結果が発現する…というパターンです。
何度も言いますが、本当に「霊のせい」「祟りのせい」という風に決めた方がめちゃくちゃ楽です。もちろん、そういった目に見えない世界が関係している可能性を捨てたわけではありません。目に見えているものだけが全てではありません。なので、その可能性を否定するわけではないのですが、生物学や生態学などにおける「適応」について知識を深めると、「これは世代を跨いだ適応なのでは?」と思える事象が結構あります。
例えば、第一世代のバッタたちの時代に個体過密による過酷な環境に陥ったときに、その次の次の世代(第三世代)でそのような環境を克服できる性質を保持した個体が生まれてくる…という話があります。
エピジェネティクス分野では、環境的ストレスが遺伝子発現を変化させ、それが数世代にわたって継承される可能性が示されています。強烈な飢餓を経験した世代の孫における代謝異常の発現や、ホロコースト生存者の子孫における心的外傷の世代間継承なども、「世代を超えた適応」です。
家系図を眺めていると、周期や法則性のようなものを発見することが多く、人間の生物としての適応の結果が表れているように見えることがあって、何でもかんでも「よくわからないもののせい」という風に決めてつけてはいけないな…と思っています。
全てを学術的な観点から説明できるわけではありませんし、まだまだ掴みきれていないところはありますが、墓相や家系について勉強し始めた当初(10年前)の視点とは異なる視点から墓相や家系を見ています。特定の思想や宗教観を深めることも良いかもしれませんが、研究者としては柔軟に広く知見を深めていきたいと考えています。一つの分野や視点に固執するのではなく、様々な学問領域から得られる知見を統合的に活用していきたいのです。
スピリチュアルや霊的な話を新しい時代に軟着陸させて、やさしく繋ぎ合わせることが僕の役割なのかもしれません。今後も知識だけではなく実占やフィールドワークを続け、探究していこうと思います。
にしけい