生け花教室に通い始めて3回目の教室でした。今日はイブキでした。頻度が少ないので、復習しながら少しずつ進めていきます。イブキは試し(折り曲げる工程)がしやすく、イブキ愛好家?なる方々もいるらしいのですが、初めてで大苦戦しました。メインとなる正花をいきなりボキッと折ってしまったり、カイハリがうまく詰まってくれなくて、作業中に鉢を倒しまくったり、とにかく大苦戦でした。
通陽に選んだ枝がちょっと伸びが弱くて、最後に調整しながら切ったのですが、ちょっとボヤけている感じになりました。先生に手直しをしてもらい、外礼を細かく切って谷を作れたのは嬉しかったです。正花が重要なことはわかるのですが、個人的には「体」の使い所がすごく重要なのではないかと勝手に思っていますが、全然違っているかもしれません。「体」の枝を選ぶとき・流し方が毎回わからないので、こればかりは回数をこなすしかないなと思っています。
僕自身、まだ花や枝を折ったり切ったりするときに、躊躇してしまうところがあるというか、怖がっているところがあります。自分の心の弱さのようなものを感じます。相手をコントロールすることへの抵抗感みたいなものがあって、本当はそのままのほうが伸び伸びしていていいのではないかと思ったり、何かこう手を加えることに罪悪感があったりします。直接的に制御や掌握するよりも、なるべく少ない力で動いてくれたらな…というズルさみたいなものがあるなと反省しました。まだまだ自分可愛さがあるのだと思います。
僕自身、コントロールしようとする「意図」みたいなものに敏感なせいだと思います。従いたくないんですね。従わせようとする存在に対しては抗いたくなるんですね。だから、植物に対してもコントロールしようとすることに申し訳なさみたいなものが芽生えてきて、野生に咲く姿のほうが美しいのではないかと思えてきたりします。今のところ、生け花はどちらかというと苦手な部類に入るかもしれません。式たりが多い流派で習っていたら、辞めていたと思います。こうして書いてみると、僕は「強引に相手をコントロールしようとすること」が嫌いなのかもしれません。不自然というか。雑というか。
先生は生け花をすると、没頭できてリラクゼーションにもつながる人もいると話してくれましたが、僕の中ではまだまだ「戦い」とか「葛藤」というイメージのほうが強いです。特定の空間の中に花という自然物をおさめるためには、選択の連続です。何を残して、何を削るか。ひとつひとつ手探りで、体力と気力を使いますが、終わってみると、こういう時間が贅沢だなと思います。
いまだに1回の教室の時間が何時間なのかを把握していないのですが、毎回マンツーマンで3時間近く付き合ってくださる先生には感謝しかないです。
にしけい