マイクラにはサバイバルモードとクリエイティブモードというものがあります。
サバイバルモードには夜になると敵が出現したり、自分たちが作った街を襲撃されたり、攻撃を受け、ゲームの中に「死」があります。生き残るために工夫を凝らしたり、準備したり、戦ったりする必要があります。
一方、クリエイティブモードは最初から全ての材料が無限に使えて、無限に材料があるレゴブロックのように自分たちが作りたい建物を自由に建てたり、無限に出てくる材料で楽しむためのモードです。このモードには「死」はなく、不自由さもありません。天国があるとしたら、こういう何不自由なく永遠に続く世界のことを指すのかもしれません。
小学生になる子どもたちもマイクラをしていますが、彼らはいつもクリエイティブモードで楽しんでいます。各々に作りたいデザインの建物を建てて、好きな色のカーペットを敷いて、好きな動物を連れて歩きますが、好きな動物も無限に出現させられます。
子どもたちがクリエイティブモードでプレイしている世界に、たまに僕が侵入します。一緒にプレイするわけです。岡本太郎を敬愛してやまない僕が彼らの世界に入ってまずやることは、彼らが作った建造物に溶岩バケツで溶岩を垂れ流したり、火打石で火をつけてまわります。そうです。破壊活動をし始めるのです。
大慌てで僕の近くに集まってくる子どもたち(のキャラクター)は、消火活動をしたり、被害が大きくならないように僕を閉じ込めたりと、ワーワー騒ぎながらも連携しながら、僕の破壊活動を止めようとするわけですね。非常に迷惑な父親です。たまに帰ってきたと思うと、勝手にマイクラの世界に入ってきて、自分たちが作った建造物を壊そうとするわけです。長男はゲームの世界のみならず、物理的に体当たりしてくることもあります。
「クリエイティブ」とは何なのでしょうか。「創造的」とは何なのでしょうか。彼らの何の制約も不自由もない世界で何が生まれるというのでしょうか。破壊や死といった終わりのない世界で何を創造するというのでしょうか。僕も本当のクリエイティブは何なのかわかりません。知りません。しかし、彼らがだらだらと時間をかけて作った世界を見ると、壊したくなるのです。死も敵も空腹も制約も無く、ただただ無限に欲しいものが出てくる世界。そんな平和な世界を見ると壊したくなるのです。
彼らにとって僕は魔王のような存在かもしれません。討伐すべき悪かもしれません。憎むべき害悪かもしれません。しかし、僕は彼らの世界を溶岩だらけにして、海から水を引いてきて海水まみれにして、意味もなく大きな穴を掘りたいのです。
破壊と創造は表裏一体です。選択肢を奪われ、可能性が狭められたときに、初めて人は何かを生み出そうとします。それこそがクリエイティブなのではないでしょうか?僕は彼らに何かを生み出すための真のクリエイティブさを身につけて欲しいのです。そうなってくると、僕という破壊活動家がいて初めて「クリエイティブモード」は真価を発揮するのではないでしょうか?
僕のマイクラ内での破壊活動を長女が妻にチクり、妻から厳しく注意を受けて自室に籠る。この一連の流れを生み出すことこそが、クリエイティブモードの醍醐味なのです。
にしけい